1.1 意外と身近にあるAI 

{ブログの中のナビゲタ}毎日のようにAIに関するテレビのニュースや新聞の記事を見聞きするこの頃、さすがにAIのことが気になってきたが、だからと言って今さら誰かにAIとは何かと聞くのも躊躇する、と思っている方はいらっしゃいませんか。あるいは、少しは理解しているつもりだが、正直全体像は分かっていないな、などと思っている方はいらっしゃいませんか。
日常AIに関係する度合いは人様々ですが、それがどうであれ、AIに対して何らかの不安、不満あるいは疑問を持っている人は多いのではないでしょうか。中堅商社に勤める御曽崎(みそざき)室長もその一人です。彼の職場では既にAIを導入していますが、彼自身はAIの本質をほとんど理解していないと自覚しています。でも、経営企画室に席を置いている身としては、それではいけないという多少の焦燥感もあります。しかも、日常生活でもこれだけ頻繁に目にするようになると、やはり気になる気持ちが浮いたり沈んだりしています。
あるとき一念発起して、AIについて少し学んだり、考えて行くことにしました。ついては、まずは自分の身の回りにどんなAIがあるのか探ることにしました。そんな彼の観察や思うところを追ってみることにしましょう。

自動運転

御曽崎は運転支援機能がついているマイカーを使っている。自動運転がAIの利用用途としてとりあげられることを知ってはいたが、いままで自分の車がAIを利用していると認識したことがなかった。

彼が使っている運転支援機能は、一定の条件のもとで、運転支援システムがブレーキ、アクセルあるいはハンドルをコントロールするという、自動化のレベル1に分類されるものである。具体的には、高速道路での定速走行や車間距離を一定以内に収める機能(クルーズコントロール)、車庫入れや縦列駐車をするとき前後左右にある車との距離を把握しながら、ハンドルが自動的に動く機能(パーキングアシスト)、緊急時ブレーキ機能、車線を読み取ってそれを超えた時にアラームを出す機能などが備わっている。

例えばクルーズコントロールについては、単に自車のスピードと前方の車との距離だけでコントロールしているだけでなく、前方の車のスピードも考慮して、アクセルやブレーキをコントロールしている。したがって同じ車間距離でも、前の車のスピードによって、加速することも、減速することもある。

運転支援機能がついていると言ってもこの程度だから、もちろん運転に際して常時人間の関与が必要である。とは言うものの、御曽崎は「確かにこの車の運転は、ほかの車を運転するときより、肉体的にも精神的にも作業が減る。これはAIのおかげか。だとしたら、もうAIが自分の生活に利便をもたらしてくれることがあるのだ」と考えた。

一方、自動運転機能を利用するために、かえって不安が生まれることもあるとも思っている。実際、御曽崎はこれらの機能を利用するがゆえに危険を感じたことがある。たとえば荷台の非常に低いトレーラーなどが先行しているときの車間距離。センサーはこのような背の低い荷台を認識できないため、どんどん接近していったことを覚えている。

あるいは高速道路のジャンクションのランプでも同じようにヒヤリとしたことがあった。ジャンクションのランプは、高速道路としてはかなり急なカーブとなっていることがある。そのようなカーブに入ると、カーブであるが故に突然先行車が視野に入らなくなることがあり、先行車がいないと判断してしまう。そうなると、急カーブに対応してスピードを下げていた前の車に合せて走っていたのが、急加速を始めてしまう。これらは、自動運転機能にあまり頼ると、かえって危険が増える例であるが、自分はそのような想定外がどのような時に起きるかを熟知しているのか不安に思うのである。

 このように「利用する上で制限がある、あるいは注意すべき点がある限り、AIに頼りすぎると事故につながりかねないこと」を、御曽崎は体で感じ取っていた。完全自動運転ができるようになるためには、センサーを増やすだけでなく、AIももっと賢くなっていく必要があるなと思った。

会話ボット

仕事で出張することの多い御曽崎は、よくパソコンで宿の予約をする。ある時、宿の予約をしている最後のほうで、宿への質問があれば音声で入力してくださいという表示が出てきた。御曽崎は「あっ、AIかも」と思って、興味津々に実験がてら早速質問してみた。御曽崎が質問を終えると、「質問したい点はこれですか」とパソコンが聞き返してきた。でもその内容は彼の質問内容とは、かなりかけ離れていた。そこで「そうではない」と返事したところ、「何が違いますか」と聞いてきただけで、さらにその先には進めなかった。やはりまだそんなレベルか、と少しがっかりした。

さらに別の質問を2,3試した御曽崎は、これは「よくある質問(FAQ)」とその回答をいくつか用意しているだけなのだろうと結論づけた。というのも「質問したい点はこれですか」と聞き返してきた内容は、どれもいかにもFAQに出てきそうな内容だったし、彼が実際にした質問にはその中に含まれる単語があったからである。したがってFAQに含まれない質問にはなにも答えられないわけである。「単にFAQを音声で扱っただけなのに、これをAIというのかな。ちっとも賢くないね。」と御曽崎は思ったが、ひょっとしてパソコンのマイクから送られてくる質問を音声認識しているところがAIと言えるのかも知れないなとも思った。

もし、このシステムがあらかじめ用意しておいた質問以外の新たな質問を蓄積していき、それらに対する適切な回答を用意していくようだったら、知能が上がっていくことになり、そうなればAIと言ってもいいのではないかなとも考えた。

御曽崎は後日、マイクとスピーカーを組み合わせて会話をしたり、おしゃべりをする機械は、会話ボットあるいはおしゃべりボット、チャットボットなどと呼ばれることを知った。これらは御曽崎が旅館予約システムで想像したように、主にテキストを用いた疑似的な会話をするコンピュータ・プログラムである。入力された文章からキーワードを抽出して、FAQの回答集のような自分のもつデータベースとマッチングして、最も近そうなものを返しているだけで、さほど高度な処理を行っているわけではない。そのため人工無(じんこうむのう)と揶揄されることもある。御曽崎はその機能の拙さにがっかりはしたものの、「無脳」というのは言い過ぎのような気がしたが、はたしてこの人工無脳も全くの「無能」ではないので、これも人工知能の一つと言えるのだろうか気になった。

{ブログの中のナビゲタ}実はここにあるチャットボットに関する御曽崎の小さな疑問など簡単に吹き飛んでしまうような、格段と高度化されたチャットボットが開発されています。これについて理解するためには、少々技術的な説明も必要になってくるので、少し先で紹介することにします。

AIスピーカー

商社という仕事上、時折英語を話す必要のある御曽崎は、英語で会話をするAIスピーカーを試したことがあるのを思い出した。AIスピーカーとは、マイクとセットで、音声会話を通してアシスタント機能等を提供するスピーカーで、スマートスピーカーとも言われる。

この英語学習用のAIスピーカーは「ご機嫌いかが」とか「明日の天気は」「アメリカ大陸の発見はいつですか」「昨日のダウ平均はいくらか」などといった質問を英語ですると、多少の間をおいてから、その回答をやはり英語で返してきた。

何度か試した中で、時折AIスピーカーから自分の意図した情報や回答を得ることができなかった。明日の天気を聞いたのに、何かのニュースが紹介されるといったように、AIスピーカーから流れてくる返事は、彼の問いかけとはかけ離れたものであることがあった。これは御曽崎の英語の拙さもあったかもしれないが、周囲の雑音、主として展示場の中で交わされている日本語が混ざって、彼の言うことが正しく理解されなかったとも考えられる。

もし相手が人間ならばそのような場合「周りがうるさくて、よく聞き取れません」という回答が返ってきそうだが、そうはならなかった。これは少し前の話ではあるが、その時はAIを実用化するために越えなければならない壁はいろいろあるなと、御曽崎は思った。

音声による文書入力

キーボード操作があまり早くない御曽崎は、かつて話し言葉を文字に変換する機能を用いた、音声によるパソコン用文書入力ソフトを利用したことがある。音声はマイクから入力され、文字文章はスクリーンに現れる。ソフトはネットを介して使用する人の特徴を学んで、認識力の向上や、自分が望む漢字が現れる確率が向上していくといった機能向上ができるものであった。音声認識、文字変換、学習機能などを利用したもので、これだけそろえばAIと言えそうだなと御曽崎は思った。

しかし、御曽崎にとって、当時のそのAIは決して使いやすいものではなかった。意図していない漢字に変換されたり、思いもよらぬ文字列に変換されることがままあった。それらを訂正するのが面倒で、何度も「これじゃ、初めからキーボードで入れた方が良かったな」と思うことがあった。

またマイクに向かってしゃべった後に、スクリーンに文字が現れるまでの時間も、御曽崎を微妙にいらつかせた。イライラするほど長い時間ではなかったが、頭に浮かんでくる次の文章をどこかにメモしておかなければ、この待ち時間のあいだに忘れてしまうような気がしてならなかった。

さらに御曽崎の場合、スクリーンに表示される文章の表現、語順などを頻繁に修正しなければならなかった。それはもちろん彼のしゃべりかたが稚拙だったからである。そのまま書いた文章として使えるようにしゃべるのも結構頭を使うものだと思った。そういえば昔、学校の先生から「しゃべった言葉がそのまま書いた文章として見苦しくないようになっている人は、かなり教養の高い人である」と言われたことを思い出し、自分の教養の低さを露呈してしまうなと苦笑した。

どういうわけか、これまで使い慣れてきたキーボードからの文字入力では、そのような修正の頻度がずっと少なかった。これは頭の中で文章を構築するプロセスと、それをパソコンに入力するプロセスの相性の問題かなと御曽崎は思った。もしそうだとすると、自分の頭は口を使ってAIを駆使するよりも、手作業でポチポチと入力するほうが向いている程度なのかと、ちょっと自虐的になった。

しかしながら、その後手に入れたスマホ(スマートホン)では、かなり正確に音声を文字メッセージに変えることを知った。スマホで送るメッセージなので、簡単で短いものが多いのは確かだが、正しく認識する、意図する漢字に変換する確率は非常に高いのに驚かされた。「うーん、これなら自分でも十分利用できる。AIの進歩か。」と感心した御曽崎は、AIにもいろいろなレベルのものがあることを知った。

{ブログの中のナビゲタ}ここで取り上げたAIによる言語処理能力の向上については後に、詳しくみていきます。

{ここは考えどころ}自分の身の回りではどうか
このように御曽崎は身近なことに注意を傾けるだけでも、AIについていくつかのことを推測したり、自分なりの考えを持てることに気が付いた。しかしこれはたまたま彼が運転支援機能をもつ自家用車を持っていたり、会話ボットを使ったことがあるからできたことなのでしょうか。皆さんもちょっと、自分の身の回りにAIを活用したものがないか観察して、その中でどこにAIがりようされているかを考えてみてはいかがでしょうか。
きっと、そうすることで、AIに対して興味が湧いてきますよ。


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コメント

“1.1 意外と身近にあるAI ” への1件のコメント

  1. […] 自分流の定義とか概念を考えようと心がけていると、このように記事などの読み方が変わってきて、実態を正しく理解できる可能性が高まってくる。画像認識のことが出たついでに、前章の「1.1 意外と身近にあるAI」で紹介したテニスの大会で使われる「チャレンジ」用システムについて。じつはこのシステムも画像認識技術が使われている。大会によって異なるシステムを使っている可能性があるが、次のようなものが考えられる。記録された画像の中からボールを認識し、その動きを観察する。ボールは地上に落ちると跳ねて、それまでとは異なった動きをするのを利用して着地点を特定する。同じく画像認識機能でコート上のラインも認識して、ボールの着地点とラインの関係を明示することができるのである。 […]

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