第10章 将棋界のAI (後半)

  {本の中のナビゲタ}前半では御曽崎が思い浮かべた将棋界でのAIに関する疑問について考えてきました。これらは将棋界という限定された分野の話でしたが、後半では、これらから一般に人間の活動におけるAIの展開についてどのようなことが推察できるか考えていきましょう。

10.6 将棋界から学ぶ人間とAIの関係

推察項目その1:今後どのような分野でAI利用が進むであろうか。(人間側の都合)

将棋界でAI利用が進んだ理由として、もともと素人間でも将棋ソフトという下地があったことがあげられるであろうか、なんと言ってもその道のプロが熱心に活用したことが大きな推進力になったと言えるだろう。そこからは、「需要のあるところでAIは進歩する」と言えないことはないが、それは経済の常識としては言わずもがなのところがある。

しかしながら考えてみれば、全職業従事者数の中でプロ棋士の数が占める割合は、非常に小さなものである。数だけ見るととても大きな需要とは言えそうにない。それにもかかわらず、将棋界でAI利用が進んだ理由としては、プロがAIを熱心に活用したことが、プロ自身の力を高めたということのみでなく、そのプロの試合を見ている素人にも大きな刺激を与えることになり、それが需要を高めたと言えよう。

一方、そのようにAI利用が進んでいる将棋界でも限りがある。例えば、チャットGPTのような自然言語モデルは、非常に汎用的であるが故に幅広いユーザーからの利用が期待される。そのため、そこには開発に多くの資金が投じられるのに対して、将棋AIはそのような収益性を持たず、大きなデータや計算リソースを要する開発はできない。将棋AIの規模を拡大することによって、その棋力が一層高まる可能性はあるが、時間や費用といったコストが問題になってくる、すなわち費用対効果にも注意すべきである。これも言うまでもないことではあるが、重要な検討要素である。

もう一つ、将棋界はAIが人間の能力を超えるという事象が起きた最も早い分野の一つであることも、AI利用が進んだ理由としてあげられであろう。確かにそれは当時大きなエポックメイキングな話題となった。しかし既にAIが人間よりも早く、正確にとか、人間には気が付かぬことを指摘できるようになったなど、多くの分野でAIが人間の能力を超えるという事象が見られるようになった昨今では、余り強いインパクトはもたらされなくなったと言えよう。

推察項目その2:今後どのような分野でAI利用が進むであろうか。(AI側の都合)

 今後どのような分野でAI利用が進むであろうかを考える際には、需要側の都合のみでなく、供給側の能力も大きな影響をもたらすことも考慮すべきである。既に前半で、将棋AIは膨大な量の計算をこなす必要がある、主に「強化学習」という方法で精度を高めている、次の手となりうる大量の候補それぞれについて検討するなどと述べた。このように将棋界では、AIの得意技である、計算能力、学習能力、組み合わせを検討する能力などがフルに利用されている。これも言わずもがなのところがあるが、このような能力を活用しやすい分野は、当然AIが力を発揮しやすいと言える。

推察項目その3:AIの普及はどのような変化をもたらすか。

先ほど、将棋界はAIが人間の能力を超えるという事象が起きた最も早い分野の一つであると述べたが、この様な「人間が勝つか機械が勝つか」に関心が寄せられる時代は終わったと言える。しかもAIに負けてもプロ棋士は失業するということが起こるどころか、新しい将棋ブームを引き起こした。これは、「AIが人間を越す」という当初設定された目標とは異なる変化をもたらしたと言える。これは経済的あるいは社会的な変化ということができる。

このような変化の他、戦略的あるいは手法的な変化も垣間見ることができる。例えば、現在の将棋AIはAI同士の対戦で強くする「強化学習」と呼ばれる手法が広く採用されている。数年前までは将棋AIの学習には棋士の棋譜も活用していたが、今では人間の棋譜は一切使っていない。人間の棋譜に頼らずにAI同士で対戦した棋譜で学習したほうが、将棋AIは強くなるというのが現在の常識になっていると言えよう。

今後、この様な様々なパターンの事象が別の業界で起きても、なにも不思議はないであろう。

推察項目その4:AI導入時に注意すべきこと。

将棋AIの目的は「勝つこと」である。どのように相手が来ようとも常に勝つということは容易なことではない。それでもルールが明確なゲームの世界であり、採りうる手は限られている。にも関わらずたくさんの種類のAIが開発されている。

一般にゲームの世界よりもルールや考慮すべき環境が複雑である、経営上の課題解決のような社会的な目的を期待したAIとなると、さらにたくさんの種類もありうるし、やり方も異なるであろう。しかも企業が導入するAIは大規模で、コストや訓練に要する時間が小さくないことが多い。AI導入によって達成される期待を明確にして、どのようなAIを利用することが望ましいか検討することが大切である。

また、当初こそ非難の声が多かったものの、少数の研究熱心な棋士たちは自らの学習に将棋AIを取り入れ始めた。しかし今ではほとんどのプロ棋士が使っている。このように一歩先んじるためには、先見性やフレキシビリティも大切と言えそうである。

推察項目その5:AI導入後に注意すべきこと。

前項では、AIの選択に注意すべきと書いたが、たとえベストなAIを選んだとしても、その使いようによって効果が増減する。企業においても、ベンダー任せ、あるいは担当任せでは、その導入効果は心もとないであろう。ここでも、たゆまぬ努力が必要と言えよう。

最近は将棋AIにおいて技術的に大きな発展が見られないとも言われるが、だからと言って現在の将棋AIのアルゴリズムが完成されたとも言えない。まだアルゴリズム的な改善の可能性は残されているだろうし、ブレークスルー的な技術革新が起こる可能性だってある。このように、AIもどんどん進化を続ける。特にビジネスにおいては、一度AIを導入したらもう安心とはいかない。導入の検討においては、AIは常に進歩するものと念頭において、フレキシビリティや拡張性も考慮に入れておくことも大切である。そう考えると、AIを開発する方も、その成果を利用する方も、絶えまぬ努力が必要と言えよう。


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