―従来からコンピュータが発揮してきた「力」―
{ブログの中のナビゲタ}第2章でAIとは何かということを調べたり考えたりしましたが、あまり明確な結論には至らなかったですね。
そこでここからは少し視点を変えて、どうして、あるいはどうやって「人工」の「知能」ができるのかを調べたり考えていきましょう。これはAIとは何かということがwhatであるのに対して、何故AIができるのかというwhyとも言えるでしょう。第3章では知能をいくつかの「力」に分けて考えていく方法を紹介しましたが、これをこのwhyを解く方策として、使ってみることにしましょう。この知能を構成する「力」はいくつもありますが、それらを三つのグループに分け、これらのうち、最初のグループである「従来からコンピュータが発揮してきた力」についてこの章で、次のグループである「数理理論や統計処理できる力」は次の第5章で、最後のグループである「さらに人間に近づくための力」については第6章と、三つの章にまたがって検討していきましょう。
本章で扱う「従来からコンピュータが発揮してきた力」とは、第3章で示した「力」のうち、記憶力、計算力、検索力の三つです。
1.記憶力
いろいろな目的の活動や行動をするに先だって、必要な手順や基礎データなどを記憶しておく必要がある。全く何も記憶せずに何かの活動や行動をすることはほとんどないので、記憶力は知能における最も基本的で必須の要素の一つと言える。
記憶のメカニズム
人間にとって記憶の過程は、新たに知る、それをとどめておく、とどめておいた内容を思い出す、そして忘れるという流れになっている。これらは心理学などでは記銘、貯蔵あるいは保持、想起、忘却と呼ばれ、また情報科学的な視点からは、符号化(やや「知る」ということと関係がないような単語であるが、情報を記憶に取り込める形式に変えるという点から、このように呼ばれる)、保持、検索、消去などとも呼ばれる。
人間の場合は、メモに書いてある番号を見てから電話をかけるときのように、極めて短い時間だけ記憶して、すぐに忘れてしまう記憶もあれば、小学校の時に覚えたことを長い間使わずにいてもあるとき突然思い出し、その後も一生忘れないような、長く保持される記憶もある。前者は短期記憶、後者は長期記憶と呼ばれるが、それぞれ脳の中で貯蔵される場所が異なると考えられている。
このような人間の記憶のメカニズムはかなり複雑なものと考えられている。脳の中のどこかで、何らかの形で「記銘」され、それが何らかの形で「貯蔵」される。最近の脳科学の進歩で、脳の中で「海馬(かいば)」と呼ばれる部分が記憶について重要な役割を果たしているといった、いくつかのことが判明し、あるいはいくつかの有力な学説が発表されている。
しかし一方では、未だはっきりわかっていない点も多い。さらに上に挙げたような短期記憶と長期記憶のような記憶される内容の種類によっても、それらのメカニズムが異なると考えられている。
これら「記銘」と「貯蔵」だけでなく「想起」と「忘却」のメカニズムも明確には解明されていない。例えば人間の場合、一度「忘却」したと思われたことが、何らかの形で思い出されることがある。それも外部からの刺激で思い出すこともあれば、自発的に「そういえば忘れていたことを思い出した」というようなことも起こる。
一方コンピュータのほうは、コンピュータが初めて開発されたとき以来、記憶のメカニズムははっきりしているし、変わっていない。0と1による記憶である。コンピュータはあらゆる情報を、この0と1の組み合わせによって表現して記憶する。これが「符号化」である。そしてこの0と1に符号化された情報を、何らかの電磁気的な二つの状態(例えば上向きと下向き等)のうち、一方を1、他方を0、と定義して、その状態を維持することによって、記憶が「保持」される。
何らかの方法でその状態を維持できるようにすれば、記憶内容を忘れるということはない。この電的な的な状態を維持するもの(ハードウエア)を記憶媒体という。この記憶媒体が維持している状態は、必要に応じて同じく電磁気的な方法で読み取れるようになっている。
記憶媒体そのものは技術進歩によって、それを作るために使う素材や、維持する方式などが変わってきているが、0と1の形で、メモリーという特定の場所に書き込み、維持し、必要に応じて読み取るというメカニズムは変わっていない。
コンピュータには、人間のような短期記憶と長期記憶といった異なる種類の記憶が存在することはない。全て同じ仕組みで「保持」され、もし電磁気的な状態が変わってしまえば元の記憶は「消去」されたことになる。もし消去されたならば、もう一度同じ「符号化」をしない限り、二度と記憶がもどることはない。すなわち人間のように一度忘却したことが再びよみがえることはない。
このようにコンピュータの記憶のメカニズムははっきりしているが、人間のそれはある程度解明されつつあるが、まだはっきりしていない部分も多い。しかしその両者が全く同じでないことは明らかである。これらのメカニズムの違いが、人間とコンピュータあるいはAIの記憶力に大きな違いを生み出している。
記憶を留めておくところ
記憶に関して、人間とAIを比べて検討していく上で、もう一つ重要なことがある。それは記憶を留めておく場所の範囲である。人間の場合は、これは自分の脳の中だけである。そこに貯蔵されていない情報を必要とする時は、書物を読んだり、他人から聞いたりする必要がある。これらは明らかに自分の脳の中にある記憶から探してくるのとは全く異なるプロセスである。
ところがAIの場合は、記憶を留めておく場所の範囲があまり明確でない。コンピュータあるいはそこに接続された周辺装置の中には、上で説明したような電磁気的な状態を維持する小さなエレメント、すなわち記憶媒体がたくさん並んでいる場所がある。メモリーと言われる場所である。メモリーという言葉は記憶媒体を指すこともあるが、一般にはそのような場所やそれを内蔵する装置も示す。
一般のコンピュータの場合は、本体とそこに接続された周辺装置の中にあるメモリーが、記憶を留めておく所と考えればよいが、ネットワークを介して接続されたクラウド形式で利用する場合は、その範囲が曖昧になってくる。自分が使用しているコンピュータとその周辺装置の中にあるメモリーのみでなく、クラウドで結ばれていて共用することが許されている記憶装置、あるいはそれらを管理する装置にいつでもアクセスして、その中の情報やデータを自由に読み込むことができるのである。AIの多くはこの形をとっている。
さらに机の引き出しの中や倉庫などに保管されて、常時コンピュータと接続されてはいないが、必要に応じて人手を介して接続されるタイプのメモリーもある。
{ブログの中のナビゲタ}この記憶を留めておく場所の範囲の違いは、人間とAIの記憶力の違いを考えていく上で、大きな要素となるだけでなく、後に取上げる「検索力」を考える上でも大きな要素となります。
記憶容量
多くの人は記憶力の良し悪しというと、記憶できる容量の大きさをまず思い浮かべる。後に述べるように、記憶できる内容の種類が限られてはいるものの、記憶容量という点では、コンピュータの方が人間よりはるかに優れていることを否定する人はいないであろう。しかもこれまた半導体などの技術進歩で、その容量は増え続けている。この記憶容量の大きさは計算の早さと並んで、AIがいろいろな分野で活躍するようになってきた大きな要素である。
既に述べたように、コンピュータの記憶はすべてメモリーと言う場所に保管されるが、このメモリーは付属の記憶装置も含めて、理論的にはいくらでも大きくできる。技術進歩により、そのメモリーの物理的な大きさは小さくなり、コストも劇的に下がって、コンピュータの記憶容量はどんどん大きくなってきている。それに反して人間の脳の記憶容量は、昔と比べてそれほど変わらない。
さらに、AIはクラウド上で繋がっていて共用することが許されている記憶装置の中の情報やデータを高速で読み込むことができる。それらの外部に保存されている記憶も、実質的にあたかも自らが記憶しているかのごとくに扱えるので、ますます人間の記憶容量との差は開いていく。ここでは通信技術の進歩が大きな影響をもたらしてきている。
{ブログの中のナビゲタ}しかし、記憶できる容量の大きさだけが記憶力の良し悪しのバロメーターではないですね。AIと人間では、容量のほかにどのような記憶力の違いがあるのか考えてみましょう。
記憶の種類
{ブログの中のナビゲタ}人間にとって記憶というのは知能の働きに大きく関係するので、心理学、生理学、神経学、脳科学など各種の分野で研究されていて、扱う記憶の種類もこれらの分野によって異なります。
先に軽く触れた短期記憶と長期記憶という分類は、日常会話でも出てくるような代表的なものですが、これは元々は心理学における分類です。ここではその中で、AIと人間の比較をする上で参考になりそうないくつかの項目について考えて行くことにしましょう。
長期記憶は内容により、イメージや言語として意識上に内容を想起(思い出すこと)ができ、その内容を陳述できる記憶である陳述記憶と、そのようにできない非陳述記憶に大別される。
陳述記憶は言葉で表現できる記憶であり、意味記憶やエピソード記憶などに分けられる。一方、言語などを介してその内容を陳述できない、あるいは非常にしにくい記憶である非陳述記憶には手続き記憶などが含まれる。
なお、短期記憶の方は、数秒ないしせいぜい数十秒の間保持されるだけなので、これといった分類は無いと言える。
意味記憶
意味記憶とは言葉の意味についての記憶である。例えば、人間はミカンの大きさ、色、形、味や、果物の一種であるなどの記憶をもっている。これが意味記憶である。
例えば「ミカン」と言われると、人間はすぐさまそのイメージを思い浮かべることができる。さらにその前後のコンテキストからイメージを絞り込む。ミカンを食べる、絵に描いたミカン、ミカンを放り投げた、踏まれたミカン、ミカンの缶詰、など同じミカンという言葉が含まれていても、その前後にある言葉によって、直ちに異なるイメージが湧いてくる。
一方、AIにミカンの大きさ、色、形、味や、果物の一種であるなどの知識を持たせることは可能である。しかしAIが「ミカンを食べる、絵に描いたミカン、踏まれたミカン、ミカンの缶詰」などの語句を読み込んだ時、これらのみかん単体に関する知識の中から適切なものを引き出して、適切なイメージを思い浮かべるというようなことはない。
勿論、例えば人がみかんを食べている映像をAIが記憶していることはありうるが、それはみかん単体に関する知識から想起されたものではない。
この人間の心に浮かぶイメージは「スキーマ(schema)」と呼ばれるが、このスキーマの存在の有無は、人間とAIの知能の差異を大きく決定づけていると考えられている。そのことについては、別の章で少し詳しく考えていくことにする。
エピソード記憶
エピソード記憶とは個人的体験や出来事についての記憶である。イベント(事象)の記憶であり、ある期間と場所での出来事についての記憶である。ただ単に事実の記憶のみでなく、その時の感情などの記憶も含まれる。楽しい思い出、悲しい思い出などがこれに相当する。
「子供が小さかった頃、一緒にピクニックに行った。海、山、谷、池、小径、芝、ベンチ、おにぎり、すべてが何物にも代えられない、素晴らしい思い出だ」といったように、突然走馬灯のようにいろいろなことを思い浮かべることができるのはこのエピソード記憶によるものである。
このエピソード記憶も、AIの記憶力を考えるのに、面白い示唆を与えてくれる。
第一に、コンピュータやAIはエピソード記憶のタイプの記憶をすることはない。せいぜい、体験や出来事について記述した文章なり、写真、動画などの画像として、日誌や報告書あるいはアルバムのような形で人間が加工したものをメモリーに保存する程度である。
この人間とAIの記憶の仕方の違いは、記憶の想起の仕方も大きく変える。人間の場合は地名、イベントの題名などの他、一緒に行った仲間、そこで味わったもの、その時抱いた印象など実に多彩な刺激から思い浮かべることができるが、AIの場合はキーワードなどを使い、機械的にそれらの加工された情報を呼び起こすことくらいしかできない。
人間にとって、このエピソード記憶の特徴の一つは一回体験しただけで、それを記憶してしまうという点である。人間は何かを記憶するのに、繰り返し覚えようとする、あるいは忘れないように繰り返し思い出して確認をすることによって記憶を保持できることが多い。それに対して、エピソード記憶についてはそのようなことをせずに記憶を保持できる。
一方、コンピュータでは、内容にかわらず一度メモリーに書き込めば、それは半永久的に記憶される。その点では、人間のエピソード記憶とAIの記憶には、類似点があるようにも見える。
人間にとってはエピソード記憶以外にも、別段記憶しようという意図がないのに記憶に残ることはたくさんある。同じ本を読むという動作でも、教科書や解説書などを読むときは意識的に覚えようとするが、小説を読むときは記憶しようと構えて読む人はいないが、記憶に残る。一方コンピュータやAIでは、エピソード記憶も含めて、「意図しない記憶をする」ことはない。これは両者の記憶に関する大きな違いの一つと言える。
手続き記憶
言葉で表現できない記憶の代表として、技能、手続き、ノウハウなどを保持する「手続き記憶」がある。これは人間では「体で覚える」と言われるもので、これもAIの記憶力を考えるのに、大切な断面を与えてくれる。
AIでも何か物事をおこなうためには、その物事を行うときの手続きを記憶しておく必要がある。だがコンピュータは「体で覚える」ことはできない。コンピュータではその物事に関して、全ての起こりうる場合に対処するための手続きをプログラムとして人間が設計・作成してインストールする必要がある。これはコンピュータのプログラミングの最も重要な役割であり、開発に最も稼働を必要とするところの一つである。このようにコンピュータをベースとするAIが「手続き」を習得するためには多大な人知を必要とした。
なおここで、「必要とした」と過去形にしたのは、学習機能を持つAIが開発されてからは、このプロセスが大幅に縮小された分野ができたからである。
車を運転するためには、運転のための手続きを記憶する必要がある。これは人間にとって「手続き記憶」の良い例である。車を安全に運転するために必要な手続きは、簡単には言葉で説明できないことが多いが、人間ならば体で覚えて、意識しなくとも使うことができる。一方、AIによる完全な自動運転車を作るためには、あらゆる状況に対応する運転に係る手続きをプログラムして、あたかも「体で覚えた」ようにしていく必要がある。第1章で自動運転に関して御曽崎が漠然と心配した点である。そこが主要なチャレンジの一つとなる。
ただ、多くのAIが学習機能を積極的に取り入れるようになってから、経験から学ぶことができるようになり、全ての起こりうる場合に対処する手続きをプログラムとして入力する必要がなくなってきたと言える。これはAIの進歩にとって画期的なことであり、その詳細については後の章で検討していくことにする。
{ブログの中のナビゲタ}このように人間の記憶はいくつかのタイプに分けて研究されることが多いのですが、それらについて上のようにAIの記憶、あるいはAIと人間の記憶力の相違点について考えても、今ひとつ、すっきりしないと思う方もいるのではないでしょうか。
もしそうだとしたら、これらは人間の記憶のタイプからAIのことを考えようとするからではないかと思われます。AIによる記憶という、これまでにはなかった新しいテーマを考えていく上で、なにか別の尺度をもって考えた方がすっきりするような気もします。それについて考えてみましょう。
「同形記憶」と「異形記憶」
AIと人間の記憶力の相違点について考えていく上では、上で紹介したような学術的分類ではないが、元のデータと全く同じに再現できる記憶と、全く同じようには再現できない記憶の二つのタイプに分けることが、便利なのではないかと思っている。ここでは、便宜上前者は同じ形で再現できるという意味で「同形記憶」と、後者は同じ形ではないと言う意味で「異形記憶」と呼ぶことにしよう。
コンピュータあるいはAIは、「同形記憶」が得意であろうことは容易に推測できる。これはコンピュータのメモリーが0と1の羅列で記憶するデジタル記憶で構成されていて、この0と1の組み合わせが元の文字や記号などに一対一で対応しているからである。これが符号化の原理である。文字は全て何がしかの0と1の組み合わせに変換(符号化)され、その0と1の組み合わせは元の文字に戻すことができる。これを復号化という。例えば「あ」という文字は「0010010111」という数列で記憶され、逆に「0010010111」という数列はいつでも必要な時に「あ」という文字に復号される、と言った具合に。
コンピュータにおいては、内容に関係なく、全てこのような0と1の羅列の形で記憶される。これを繰り返している限り、全ての記憶は同形記憶となる。たくさんの文章を記憶させて、それらを再生しても、常に同じ文章になる。
それに対して、人間が同じように再生しようとしても、語順を間違える、単語を入れ替えてしまう、「てにをは」を間違える、何かを飛ばしてしまうといった、元とは何らかの点で異なる文章になってしまうことが普通に起こる。
AIでは、例えば医療分野での画像診断のように、「文字で表現できる記憶」だけではなく「画像の記憶」もよく利用されている。この画像もコンピュータの中では0と1の形に符号化されて、記憶保存されている。その際、画像は全く生き写しの絵として記憶されているのではなく、きわめて小さな領域に細分化されて、各部分の色や濃さなどをデジタルで近似され、それらが0と1の形で記憶される。したがって、一度コンピュータに記憶された画像を復号化したものは、厳密には元の画像とは異なるものになるが、実用上同じと見なして支障がない程度に領域は細分化される。また言うまでもなく繰り返し復号化される画像同士は常に同じものとなり、コンピュータでは画像も「同形記憶」と見なすことができる。
詳細は省略するが、コンピュータでは音や音声も画像と似た形で記憶され、これらも「同形記憶」と見なすことができる。このようにコンピュータの記憶は全て「同形記憶」で「異形記憶」はない。しかしながら、その「同形記憶」の記憶容量は絶大である。
一方、人間は「同形記憶」も「異形記憶」もできる。例えば、漢字の読み方や自宅の電話番号などは、記憶したのち元のデータと同じに再現できるので「同形記憶」と言える。それに対して、読んだ一冊の本の内容を元と全く同じに再現する、すなわち全文を正確に思い出すことはできない。かといって全く何も記憶していないのではなく、元のデータである原文と異なった形で何らかの記憶をしている。これは「異形記憶」になる。しかも本の内容を他人に説明するときのように、その時々によって表現が異なることもありうる。
人間にとって「画像の記憶」も「異形記憶」である。もちろん人間は画像を記憶することができる。それ故「あ、この絵みたことがある」等と言える。しかしながらその記憶は全く同じに再現することはできない。そのため、そっくりではあるが、細かいところがわずかに異なる2枚の絵を順番に見せられて、「さて、どこが違うでしょう」と聞かれても、なかなか答えられない。一方AIはこの問に、いとも容易に答えられる。2枚の画像を「同形記憶」するので、二つの画像を重ねて透かしてみて、一致していないところを見つけ出すような仕組みで、即座に違いを指摘することができるのである。
一人の人間が何十年の間に読んだ漫画、雑誌、小説、図鑑、専門書などや、見た景色、事象、光景、映画などの中で記憶にとどまっている量はかなりの量と考えられる。それらは全て異形記憶として記憶されている。それに対して、異形記憶ができず全てを同形記憶としてとどめておかなければならないコンピュータやAIにとっては、一人の人と同じだけのものを記憶しておくためには、それこそ膨大な記憶容量が必要と言える。
記憶に関する能力
ここまで述べてきたように人間の記憶にはいろいろなタイプがあり、それをほぼ無意識のうちに使い分けている。一方コンピュータはそのうちの「同形記憶」という一つのタイプの記憶しかできない。このように記憶力の能力として、扱える記憶の種類の数が違う。これは最初に述べたように、人間とコンピュータとでは記憶のメカニズムが異なるからである。
「同形記憶」に限ってみれば、AIやコンピュータの記憶容量は非常に大きい。人間とは比較にならないほど大きい。例えば語彙だけをみても、AIによっては億の単位の単語を記憶できるが、これは人間に取っては不可能な数字である。
なお、記憶は引き出して使わないと意味がない。その時その時に必要な記憶を引き出すことは「想起」とか「検索」と呼ばれることは前に述べたが、これについては次の「検索力」の項で検討することにする。
記憶に関する項目の最後に「忘れる」というのがある。これは人間の場合は「忘却」と呼ばれるが、内容によっては頻繁に起こるし、高年齢になると「忘却」が起こりやすくなると考えられている。また当然ながら、人間は死んだらその人の持つ記憶は全部消える。生前にほかの人に移植することはできない。もちろん教え伝えることはできるが、その量は限られる。それに対してコンピュータの場合は、操作や破壊によって「消去」されない限り、「忘却」はなく永続する。また、コンピュータを廃棄する時でも、事前に他のコンピュータに記憶内容を全てコピーして移植することが簡単にできる。
なお、前にも述べたように、記憶はいろいろな目的の活動や行動をするのに先だって必要な基礎データを蓄積する行為である。そのため、人間はいろいろなタイプの記憶ができるのに対して、コンピュータは一つのタイプの記憶しかできないという事実は、他の知能を構成する「力」を発揮する範囲にも影響する。それについてはそれぞれの「力」のところで検討していこう。
2.計算力
計算方法
「計算」は何らかの数値を求めるためにおこなう。数字を使った計算はすべて加減乗除、すなわち四則演算で実行される。これは人間がやっても、コンピュータがやっても同じである。そして四則演算は全て+-×÷あるいは+-*/という演算記号で表すことができるが、その演算記号が意味する規則も同じである。したがって、計算力については人間もコンピュータも同じやり方で行っていると言える。
ただ異なる点もある。人間は十進法を使うが、コンピュータは二進法を使うのである。そのためコンピュータでは取り扱う数字は0か1しかないのに対して、人間は0から9までの十種類の数字を使って計算する。しかしそれでも計算のアルゴリズムは人間でも、コンピュータでも同じである。
最近はあまり用いられない訳語であるが、以前コンピュータは電子計算機と訳されていたくらいであるから、計算が得意な機械であることは言うまでもない。速さのみでなく、正確さでも人間とは比較にならないほどの違いがある。さらにどんなに長時間計算を繰り返しても、人間のようにいやになる、疲れるというようなことはない。そのため、何度でも同じような計算をさせることができるし、しかもそれを四六時中やらせることもできる。
そのコンピュータを用いるAIも、もちろん計算は得意である。半導体をはじめとする関係技術の進歩に伴って、その能力はますます高まっている。今更のことであるが、このように計算能力という点では、AIあるいはコンピュータの方が人間よりも遙かに優れていると言える。
{ブログの中のナビゲタ}このコンピュータでは取り扱う数字は0か1しかないという事実は、量子コンピュータでは必ずしもあてはまらないところがあります。これについては少し先の章で述べることにします。
計算の目的
言うまでもなく計算は何らかの数値を求めるために行う。これだけの買い物をして、これだけのお金を出せば、おつりはいくらになるかといった具合である。
しかしながら現実的には、AIが計算を実行する時、その結果の数字を得ることが(人間にとって)目的であるということは滅多にしない。何か別の目的を達成するためのプロセスの一部として計算を行うことが多い。別の目的とは例えば画像認識をする、翻訳をする、推論をするといったような、人間が行う場合のことを考えると「なんで計算なんか必要なのか」と思うようなものも多い。
そのようなことを実行する時に、なぜAIは計算を行うのか、あるいはどのような計算をおこなうのかは、それぞれその項目の中で考えていくことにするが、このようにAIが計算を行うことによっていろいろな目的を達成するということは、AIがさまざまな分野で活躍できる一つの大きな要素である。AIの開発の歴史を振り返ってみても、技術進歩によりコンピュータの計算能力が高まったことは、AIの能力向上にとって大きなインパクトをもたらしてきた。現在でもその動きは続いている。
3.検索力
検索には、自らが記憶している内容の中から、必要なものを必要な時に引き出してくることと、外部に保管されている情報を必要に応じて探してくることの二つの意味がある。ここでは、自らが記憶した内容を引き出してくることを「内部検索」と呼び、外部に保管されている情報を探してくることを「外部検索」と呼んで、それぞれについて考えていこう。
「内部検索」をする範囲は、人間の場合は自分の脳の中で、AIの場合はそれが使っているコンピュータ本体とそこに接続された周辺装置の中にあるメモリーということになる。この範囲の検索力は記憶力とセットにしてはじめて役に立つ力となる。特に人間の場合はこの検索力の優劣が、知能を大きく左右すると考えられている。
一方、「外部検索」をする範囲は、AIの場合はクラウドで接続されていて共用することが許されている記憶装置、あるいはそれらを管理する装置やシステムということになる。AIにとってはこの外部検索力の優劣が、その能力評価を大きく左右する場合がある。
人間の場合は、身近にある辞書や新聞、書棚や図書館にある蔵書といった、従来の検索の主な範囲であった印刷物に加えて、最近ではスマホやパソコンなどを利用してアクセスするウェッブサイトなど、その対象範囲が広がってきている。人間の場合はこのような外部検索力がその人の知能の一部と見なされるか否かは、議論を呼ぶところではあるが、AIの知能と対比する上で重要な項目の一つであるので、これらも含めることにしよう。
内部検索
自らが記憶している内容でも、それを必要に応じて思い出すか、あるいは検索することができなければ宝の持ち腐れとなる。人間の場合は記憶されている事柄を、実際に使えるようにするためには、脳のどこかの「引き出し」にしまってある記憶から必要な内容を適切な形で取り出し、並べないといけない。この動作は「思い出す」とか「思いつく」などと言われ、たいていの場合は無意識に行われるが、どのような仕組みでこれが成されるのであろうか。
人間が過去に経験、学習したこと、覚えたことなどの検索を行うときは、必ず「手がかり」が存在すると考えられている。例えば、碁盤が眼に入ることが碁に関する経験や学習結果を思い出すための一つの手がかりとなる。もちろん碁盤をみなくても、「いっちょ、碁をやるか」と声をかけられることも、手がかりになる。
友人と雑談をしていて、話題がつきないということはよくある。これはある人が言ったことが、ほかの人にとって次の話題の「手がかり」になっていることが多い。次々と新しい手がかりがでてきて、これまた次々と関係する記憶が呼び戻されていくので話題がつきないという状況になるのである。
しかしながら、その手がかりが与えられてから、どのようなメカニズムで脳内の記憶の「引き出し」から必要な内容を適切な形で取り出す、すなわち検索するのかは現在のところ明確に分かっておらず、いくつかの学説が出されている。人間の場合、内部検索のメカニズムは、記憶の種類によって異なると考えられている。
一方、コンピュータあるいはAIでは、メモリーに記憶した内容を必要に応じて引き出してくる動作は基本的に二つのレベルで実施される。一つはプログラミングのレベルで、もう一つはアプリケーションのレベルである。
プログラミングのレベルとはプログラムを実行する上で行うもので、その具体的な動作はプログラムを開発する段階で規定されていく。全てのメモリーはそれが存在する場所を表わすアドレスをもっており、プログラミングのレベルでの検索では、このアドレスを利用する。ただ、これは専門のプログラマーやエンジニアがやってくれるので、一般のユーザーが意識する必要は全くない。
一般のユーザーが利用するのは、アプリケーションのレベルの検索である。このアプリケーションのレベルでの検索の代表的なものは、キーワード検索と言われる、メモリーの中から一致する単語を探してくる動作である。
類似した単語や文章による検索など、応用的な検索ができるものも開発されている。検索を行う際に、辞書機能や文書分析機能を持つほかのプログラムと組み合わせることによって、あたかもキーワード以外のもので検索しているように作動するのである。しかし、これらの応用検索も、具体的な検索そのものはキーワードによって行われる。なお、技術的にはこのキーワード検索以外の検索手法もあるが、アプリケーションのレベル検索はキーワード検索によることが圧倒的に多い。
外部検索
コンピュータあるいはAIによるアプリケーションのレベルの内部検索における動作は全て、外部検索についても同じように当てはまる。すなわち本体やそこに接続された周辺機器のメモリーからであろうと、ウェッブサイトのような外部の記憶装置からであろうと、必要なものを読み出す仕組みは同じである。コンピュータは検索エンジンと呼ばれるプログラムでこれらの検索を実行する。この検索エンジンとは、ウェブサイトやネットニュースなどに内包される情報を検索する機能およびそのプログラムのことである。現在のところ、キーワードを用いて検索を行うロボット形検索エンジンが主流である。
コンピュータが検索できるのは、どこかのメモリーに電子的に保存されているものに限られているのに対して、人間は多種類の形式のリソースを外部検索することができる。たくさんの種類の印刷物のみでなく、ウェッブサイトなども検索できる。
検索の対象が印刷物の場合は、検索方法は取り立てて考えるようなメカニズムはないと言える。目次や索引等を活用することもあるし、「確か2,3日前の新聞に載っていたような気がする」といった曖昧な仕方で探すこともあるが、基本的に眼で文字あるいは図を追って探すことになる。検索の対象がウェッブサイトとなると、単に一つのキーワードに頼る、複数のキーワードを組み合わせる、ネットサーフィンを利用するなどの選択肢はあるものの、物理的な検索は全てコンピュータ頼みである。
検索力の比較
AIに限らず、コンピュータの検索力で目を見張るものはなんと言っても全文検索の早さであろう。全文検索とは文章全体のなかから特定の単語などを拾い出してくることをいう。原理的には人間にもできるのだが、数十ページを超える文になると手に負えなくなってくるのに対して、コンピュータはいとも容易にこなすことができる。
そのコンピュータを利用するAIもしかりである。前に述べたように、AIによる検索は内部と外部検索の区別はほとんどない。「同形記憶」に限っているというものの、AIやコンピュータの内部、外部も含めた記憶容量は非常に大きい。にもかかわらず極めて短時間に検索を行うことができる。
インターネットが普及する前は印刷物が主な対象であった外部検索という作業は、今ではコンピュータのおかげで世界中に散らばるサーバー群も対象となり、広がりや数の上で、とても人間の「目」には負えないものとなってきている。
コンピュータが検索を実行する際に利用する検索エンジンと呼ばれるプログラムでは、ウェッブサイトの数が急増するのに対応して、サイトにある多数の情報を効率よく収集することができる手法などが開発されている。AIやコンピュータによるキーワード検索は、検索のスピードや全ての関係する箇所をリストする確実性などの点で、人間の能力は足元にも及ばない。
人間にはとても把握しきれないような大量のデータを検索することができ、その検索結果から人間には見えなかったものをAIが見せてくれるようにもなった。スマホの位置情報を利用したマクロ的な人の流れや、各地の観測データを利用したゲリラ豪雨の発生警告などがその例である。これらは検索能力の高さを利用している。
しかしコンピュータによる検索には課題もある。例えば検索サイトを利用して多くの人が感じるのが、あまり意味のないサイトや、全く関係ないサイトがリストされるという点である。これは人間で言えば、意図していない記憶がドサッと頭に浮かんでくるようなものである。サイト検索がおこなう対象は外部記憶であるのに対して、人間が記憶内容を検索するのは内部記憶なので単純には比較できないが、人間の記憶内容の検索にはそのような問題はない。検索できない、すなわち思い出せないということはあっても、関係のないことを検索してくるようなことはない。
最近はキーワード検索以外のサービスも現れてきた。例えば、散歩の時見つけた野花をスマホで写真一枚撮って、ネットで送ると検索してくれる。その花の名前だけでなく、特徴などを知ることができる。これは画像による検索である。ちなみにこの種のアプリは十年くらい前にもあった。当時は一回検索するたびに結構な料金がかかった。花が完全に画面に収まっていることといった制約もあり、それでいて野生の花の場合は、正しい名前が検索される確率もあまり高くなかった。しかも回答が出るまでしばらく時間がかかった。それに比べ、今のアプリは格段に能力を進歩させている。
このようにコンピュータによる検索力は進歩しているが、いまだにフレキシビリティに欠けることは否定できない。それこそいろいろな種類の「手がかり」で脳内を検索ができる人間と比べると柔軟性に欠けると言えよう。
しかしながら、生成AIの出現によって、AIによる検索は非常に便利になってきた。AI検索という固定されたキーワードによってではなく、AIとの対話によって行う検索が出現した。この生成AIやAI検索については、別の章で詳しく考えていくことにしよう。
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