第50章 長文作成AI (後半)

 {ブログの中のナビゲタ}さて、「前半」で紹介した御曽崎が文章作成AIを利用して作成した作文についてどう思われますか。「ほう、AIがこれだけの内容を書けるのか。不自然な言い回しもほとんど無いな」とか「幅広い内容をカバーして、いろいろ考えられるのだな」というような肯定的な意見や、「文章の形としてはそれなりに整っているが、理論の飛躍や曖昧さ、前後の流れなど随所に稚拙なところがみられるな」といった批判的な意見があるかもしれませんね。しかしなんと言っても、「これは全面的にAIが書いたのか、あるいは一部をAIが手伝ったのか。そこら辺はどうなのか」といった疑問がまず浮かんできたのではないでしょうか。
 その疑問の答えはずばり、「人間とAIの合作です」ということになります。どのように合作がなされたのでしょうか。「後半」では、いくつかの点を考察していきましょう。

50.3 AIが作成したという文章の考察
人間とAIの合作

 既に世の中にはいくつかの種類の文書作成AIが開発されているので、各々違いがあるだろうし、同じAIでも次々となされる機能追加や学習効果によって進化しているであろうが、今回御曽崎が使ったAIでは以下のようなことが分かった。

 まずは、どのようにしてAIが文章を作成して行くかをみていこう。文章作成AIを使用する場合、最初にある程度の長さの文章を人間が入力する必要がある。それはプロンプトと呼ばれる。プロンプトとは刺激、促進あるいは促すことを意味する英語であるが、それは一行でも、一ページ程度の長いものでもよい。プロンプトを読んだAIは、それに対応して後に続く数行程度の文章を提示してくる。それを人間がそのまま受け入れると、最初に人間が入れたプロンプトと、それを受けてAIが示した文章を合わせたものが新たなプロンプトとなり、その新たなプロンプトを受けて、AIはさらに続く数行程度の文章を提示してくる。再度、人間がそれをそのまま受け入れると、AIは再び新たな文章を提示するということを繰り返して、長い文章が作成されていく。
 もちろん人間はAIが提示する文章を拒否することもでき、その場合はAIが提示する文章を削除する。そうするとAIは元のプロンプトに対して、異なる文章を提示してくるので、それを採用するか、削除するかを再度人間が判断する。人間は、採用するか、削除するかの判断だけでなく、AIが提示した文章の一部を削除したり、どこかを書き直したり、何かを付け加えることもできる。AIはその様に変えられた文章を新しいプロンプトにして、先に進めていく。このようにして、人間とAIが会話しているような形で文章が作られていく。
 AIを使う度に新たなプロンプトを入れていくという意味では、通常のコンピュータ・プログラムで、その都度最初にデータを読み取り結果を提示していくのと似ている。ただ、そのような通常のプログラムでは、コンピュータに対してその結果は気に入らないから、同じデータを使ってもう一度やり直してくれと言っても、同じ結果しか返ってこない。それに対してプロンプトは同じものを使っても、別の結果が返ってくるというのは、AIならではのことと言える。

できることとできないこと

 このような文章作成AIを使ってみた御曽崎にとって、出だしではいくつかの点で期待はずれの感があった。

 最初でありかつ最も大きな期待外れは、プロンプトにアウトラインのような、作品全体の流れを示すものを示せば、あとはAIが適当にその流れに沿って文章の肉付けをして行ってくれるだろうと御曽崎が誤解したことで現われた。彼は、先の江戸アイの例では、「21世紀のなかばの日本」から始まる、一連の小項目を並べた骨組みのようなアウトラインを入れてみた。そうすれば、AIはアウトラインの各項目について文章を書いて行くだろうと期待したのである。それに対してAIから返ってきた文章は、アウトラインの最後の小項目の続きとなるような文章であり、プロンプトに示されたアウトラインとは全く脈絡のないものであった。
 これは話の大筋を示すことによって、AIがその筋をブレークダウンして詳細化を考えるというようなことはできないことを意味する。ましてやAIがアウトラインの続きを考えたりすることもできない。プロンプトとして与えられた文の集合体から、最後に示された文(あるいは語句)の続きの文はどのようなものが良いかを考えるだけである。
 それがわかった御曽崎は最初に入れたアウトラインを全て消去し、「21世紀のなかばの日本」の項に示す最初の2,3行を作文して、それをプロンプトとして入れてみた。するとAIは、2,3行ずつ、次に続く文章を示しながら、次々と文章を展開していく。しかしそれでは御曽崎が期待しているようなストーリー展開とはならず、とても次の小タイトルとして考えていた「大きく変わる教育制度」に結びついていかない。すなわちAI任せでは、自分の思う通りのストーリー展開を期待するのはむずかしい、ということがわかった。
 このような状況では、「はじめに」の部分にしめすような、ストーリー展開の前提をAIに書いてもらうのは至難のわざと考えた御曽崎は、上に示した「はじめに」の部分は100%自分自身であとから作文した。
 その後、試行を繰り返していくうちに、たとえプロンプトを長くしていっても、AI任せではなかなか自分の思う通りに進んでくれないということも分かってきた。ただ、これは期待外れという面もあるが、それが故にAIを使う面白さが出てくるということもわかってきた。時として、思わぬ展開にわくわくすることさえあった。
さらに、AIは与えられた文章(すなわちプロンプト)の校閲はしない、ということもわかった。たとえ与えられた文章の中に矛盾した内容があっても、何も指摘はしてくれない。例えば「彼は背の高い人であった」という文章の後に「背の低い彼はそこを超えることができなかった」という文章が出てきても、何らの指摘もせずに、そのままで作業を進めていく。
また、与えられた文章が不完全であったり、表現に不自然なところがあっても指摘や修正をしてくれない。それらは全て無視して、ただ愚直に次はどのような文章とすることが理にかなっているかを分析して、結果を示してくることがわかった。

一方、このように試行錯誤しがら進めていくと、逆に御曽崎にとっては期待以上のところもあることに気がついた。
まずは、一つ一つの文の表現はかなり自然である。とにかく話を進めて行くだけならば、表現としては滅多に自分が手を入れる必要がないことがわかった。ただし、文体に違和感を感じたり、例えば四字熟語を使うといった具合に、もうちょっとしゃれた表現にしたいというような気持ちになることはままあった。
プロンプトでストーリーの構成や流れがしっかりしたものを提示すると、それによくマッチした続きの文が示されることが多いこともわかった。例えば、「原因」を示すような文章を示すと、それを受けた「結果」を述べるような文章が提示されるというようなことが多い。ここで原因と結果というのは、例えば「太郎はこうしたいと思ったが、そのためには何々が必要であった。ところが太郎はそれを持っていない。」といった文が「原因」であり、「そこで太郎はこうすることにした」といった文が「結果」である。

もっとも、直ぐに「結果」を示すような文章を提示してくるのではなく、「原因」となるような項目や、内容を追加してくる場合もある。例えば先ほどの太郎の場合、「さらにこのようなことも必要であることに気がついた」あるいは、「しかも何々という面も無視できないことがわかってきた」といった類いである。そのような場合は、「原因」となる項目がさらに並べられて文の厚みが増したり、思ってもいなかった展開が示されるなど、自分だけで考えた以上のことが期待できることもわかった。

さらに試行錯誤を続けていくと、プロンプトがながくなるにつれて自然とそこに含まれる内容は複雑になってくるが、その複雑さは余り考慮されずに、淡々と次の文章案を提示してくるような気もしてきた。これは確証のあることではないが、幾度かそのような印象を持った。

 最後に、AIによる作文のスピードは、瞬時と言えるほど早いということはなかったが、それでも平均すると数秒で2、3行程度の文が示されるので、かなり効率は良かった。自分だけで同じボリュームの文章を作成するよりも遙かに早くできると感じた。 

なぜできる、なぜできない

 {ブログの中のナビゲタ}次に、御曽崎が経験したAIのできること、できないことが、なぜなのかを想像も含めて考えていきましょう。繰り返しになりますが、同じ文章作成AIにもいくつかの種類があり、それぞれに特徴があるので、一概には言えません。ここでは単にAIと書きますが、それらは厳密には「ここで用いたAI」はと言うべきところです。
 さらにこの文章作成AIの開発に関与したわけでもなく、全てが推測であることをお断りしておくべきでしょう。それでも、AIの解剖を一緒にしてみませんか。それによってAIのことを理解するヒントも得られるような気がします。

  まずプロンプトを読んだAIがどのようにして、次に続く文を提示できるのかと言う基本的な疑問について考えてみよう。AIは、単語やその組み合わせに関する統計的なデータを豊富にもっている。これによって、どのような単語あるいは単語の組み合わせが出てきた場合は、次はどのようになる確率が高いかということを計算できる。示された単語や句に関わる例文や関連する語句などを豊富に揃えているであろうから、次に続きそうな複数の表現や文章の候補を、それが適切であろう確率も含めて用意することができるわけである。
例えば「おじいさんとおばあさん」という句が出てきた場合は、その後「仲良く」「孫の成長」「子供がいない」「けんかばかり」あるいは「お地蔵さん」「何か光るもの」「冒険の旅にでる」などと、これまでに蓄積したデータから、いろいろな候補を並べることができる。さらに「おじいさんとおばあさん」という句の前後に示された語や句によって、それらの候補を絞ることも当然していくであろう。「おじいさんとおばあさん」の前に「昔、昔、山奥に住んでいた」という語句がある場合と「モダンで、活発な」という形容詞がついている場合では、次に並べる語句の候補の優先度は異なってくるであろう。

一方、なぜAIはアウトラインから全体の流れを把握し、そこから各部分をブレークダウンして詳細化を考えるということはできないのであろうか。これは「できる、できない」の話ではなく、第一義的にはそういう仕様になっていないのであろう。アウトラインとはどのようなものか、プロンプトに記されていることはアウトラインであり、そしてそのアウトラインの表示規則(大項目や小項目など区別の仕方など)がどのようなものか、などをAIに教えれば、後は上で述べたことを順次適用していけばなんとか作文はできると思われる。
しかしそれでは十分ではないであろう。アウトラインから意味のある文章を生み出していくには、アウトラインに示される流れをきちんと掴む必要がある。それは主としてそこまでに示された語句に関する統計的なデータを用いて、語句や文章の塊から次にくるもっともらしいものを選び出すという作業とはかなり性格が異なる。
すなわち、そこまでに示された語句の組み合わせから、次に続くであろう候補を考えるだけでは不十分であり、アウトラインのような単発的にならんだ語句や短文の塊から、もくろんでいる文章全体の流れや構成を汲み取り、それに沿って文書を展開するような仕組みを構築していかなければならないであろう。

次に、「プロンプトが長くなるにつれて内容は複雑になってくるが、それはあまり考慮されずに、淡々と次の文章案を提示してくるような気がしてきた」ということに移ろう。御曽崎は、これは確証のあるものではないと断っているが、確かにその是非を見極めるのは難しい。当然ながらAIはプロンプトに含まれる語句の分析は行っている。そのためプロンプトが長くなって、分析される対象が広がっていけば、何らかの影響は受けるはずである。ここで問題となるのは、影響を与えるのは字面だけなのか、あるいは内容にまで踏み混んで理解して、そこまでを反映しているかである。

内容にまで踏み混んで理解していくには、例えば小説を作文していく上で、そこに登場する人物間の人間関係を理解しなければならない。この場合は、登場人物間の人間相関図のようなものを作る事によって可能となる。「AとBの関係:最初は仲が良い。徐々に互いを疑うようになった。ついには絶交状態。あることをきっかけに互いの誤解が解けてきた。」といったような関係とその変化を把握して、必要に応じて続きの文を作成する際に反映していくのである。例えば「この事件をきっかけにして、二人の信頼関係は以前にも増して強くなった」というような文は、このような関係図を描いておけば出やすくなり、それだけコンテキストにマッチしたものとすることができる。
この程度の相関図ならばそれまでに出現してきた語句データを分析することで作成できるかも知れない。実際にこのAIがこのような登場人物間の人間相関図のようなものを作っているか否かは、開発者にたずねないと分からない。もしその様なことをやっているならば、小説のように、主な登場人物の数は限られている上それらは何度も登場する場合は、このような関係図を作る意義は高いであろう。一方、御曽崎が作らせたような解説文においては、扱う項目がめまぐるしく変わっていくことが多いので、項目相関図のようなものを作ることができても、あまり活用できないであろう。

このことに絡んで、「たとえプロンプトを長くしていってもAI任せでは、自分の思うとおりの文章展開、ストーリー展開を期待するのは、難しい」と御曽崎が印象を持った理由を推断してみよう。

一般に、機械を分解したり、製品の動作を観察したり、ソフトウェアの動作を解析するなどして、製品の構造を分析し、そこから製造方法や動作原理、設計図などの仕様やプログラムなどを調査することをリバースエンジニアリングという。こうすることにより設計思想やベーシックポリシーなどを読み取ることができることもある。
文章について言えば、そこまでに完成した文章を分析することにより、逆に完成した文章からアウトラインを作成したり、ストーリーの展開をフローチャートなどによって明示化することは、このリバースエンジニアリングと言える。一般に、完成した文章の部分が長い程、リバースエンジニアリングは精度が上がってくる。プロンプトを長くするということは、完成した文章の部分が長くなるということである。

にもかかわらず、御曽崎が先の印象を持ったとするならば、このAIにはそのようなリバースエンジニアリングの機能は備わっていないものと推察される。このようなリバースエンジニアリングは語句の統計的性格を用いてもほとんどできないであろう。統計的な技法とは異なった技法が必要になる。これができるようになるためには「記号接地問題」を解決しなければならないかも知れない。この記号接地問題とは複雑な問題で、別のところで改めて深く検討することにするが、簡単に言うと文字や言葉という「記号」を、それが示す実態に結びつける、すなわち「接地」することができるかという議論である。

なお、このことは御曽崎が発見した「プロンプトに矛盾があっても直さないこと」にも関係していると言えよう。これもプロンプトには言及しないという仕様の問題とも言えるかもしれないが、もっと本質的な理由があるように思われる。すなわちプロンプトに示された文章の内容を厳密には把握していない、あるいはできないということである。もし内容を把握しようとして、そこに何らかの矛盾が見つかれば、その先に進めなくなってしまうと考えられる。そこからも、プロンプトに示された文章の内容は十分には把握していない、あるいはできないと推測される。

ここで「AIは文章の内容を把握せずに、どうして続く文章を考えることができるのか」という、根本的な疑問に戻る読者もいるかもしれないが、それに対しては先ほど説明したように「語句データの統計的分析によってできる」という答えになる。即ちそこに示された内容に関わりなく、並んでいる語句に対しての統計操作をすればよいと言うことである。

 ところでここで行っているAI機能に関する推測自体、リバースエンジニアリングとも言える。しかし御曽崎が試したことは極めて限られており、あくまでも推測の域をでない。実情をご存じの方がおられれば、教えていただきたいところである。

文章作成AIをどう利用するか

ここで用いた小説や随筆のような文を作成するAIの他にも、幾種類もの文章作成AIは存在する。そのような文章作成AIはどのようなものがあり、またそれらはどのように利用すればよいのであろうか。

人が文章を書く目的はいろいろあるが、主には書く人の気持ちや訴えたいことを表現する、何らかの結果を報告する、知識やアイディアあるいはアドバイスなどを伝えるなど書き手が何かを発信する場合か、複数の人の間での約束事や予定などを明確にする場合と言えるだろう。

契約書はこの中の最後のグループに入るであろう。この契約書などは、かなり形式が決まっており、契約する内容によってパラメータを変えるだけということも多く、文章作成AIが使いやすいであろう。実際、このようなサービスをする商用のAIは既にいくつかある。

会社などで多く作成される提案書はアイディアなどを発信する類いと言え、論文などは何らかの結果を報告する類いと言えよう。これらは作成する環境によって形式はかなり異なるであろうが、その多くは厳密な論理展開が求められる。一般にこのような厳密な論理展開そのものを文章作成AIに期待するのは難しいと思われ、せいぜいそれらを表現する手法として利用する程度であろう。もっとも、最近ではAIを利用して学術論文を模倣できるプログラムが公開されている。これは受けた質問に対して、妥当と思われる単語や文章を予測し、説得力のある長文テキストを作成できるそうだ。それは公開済みの学術論文を中心に、大量のテキストデータを学習して答えを導き出すそうだが、不正確な答えや盗作の問題も浮かび上がっている。これらはそれと気がつかない場合も多く、乱用はつつしむべきである。

それらに対して、小説とか随筆のような創作ものは、厳密性よりも読者の心を動かす、あるいは感受性に訴えることに重きが置かれ、それだけにフレキシビリティが高いと言える。従って文章作成AIがストーリーの流れを作る、あるいは変えることに貢献する機会は多いように思える。思わぬ展開さえも期待できる。そうは言っても、小説などを書き始める前には、訴えたいこととか、このような展開にしよう、といったことを頭に描く。それらはおいそれとは変えられないし、安易に変えてしまったら、ちぐはぐなものになってしまうだろう。

従って、コアとなるメッセージや、大きな流れは保ちたい。それは何も小説や随筆だけに限らない。報告書や提案書にも言える。そこで少なくともまだ扱い方に熟知していない間は、次のようなイメージで文章作成AIを利用していくのが、無難なのではなかろうか。

幹全体は自分で事前につくる。幹からいくつかの大枝も用意しておく。大枝をバラバラにして、一つの大枝の一部に小枝や葉を付けて、プロンプトとして提示する。そうするとAIがさらに小枝や葉を着けてくれる。それが済んだら、次の大枝に移って同様なことを行う。しかも、どうしても展開したい方向があるときは、それは前もって自分で書いてプロンプトの最後に入れ込む。さらに、思いもよらない小枝や葉がAIから提示されたときは、場合によってはそれを新たな大枝にしたてるようなフレキシビリティを持つとなお良いであろう。

 どのような文章を書くにしても、当たり前ではあるが、プロンプトに入れる文章は丁寧に、正確に書く必要がある。AIはプロンプトを訂正してくれない。また、与えられたプロンプトに対して、AIから提示された文案は採用、不採用の選択だけでなく、部分採用や一部修正などをしていくとスムーズな進行が期待できる。

 御曽崎が試しにAIに作らせた文章は、小説とか随筆とは言い難く、また提案書とも言い難いものではあるが、上で述べたような方法で、とにもかくにも一応まとめることができた。なんといっても、文章作成AIを利用すると、作成に要する時間はかなり短くすることができたのである。

以上は文章作成AIについて述べたものであるが、他のAI利用についても多くの場合、何らかの工夫がいるであろう。そこら辺が「人間とAIの合作」の妙味といえるのではなかろうか。

50.4 文章作成AIが提示してきた文章を吟味する

{本の中のナビゲタ}ここまで読み進めると、もう文章作成AIが作る文章については、十分だと思われる方もいらっしゃるかとは思いますが、折角の機会でもあり、AIを使うことを実感していくために、もう少し試してみましょう。

「21世紀のなかばの日本」から

21世紀のなかばでは、赤ちゃんが生まれるとその赤ちゃん専用のAIがあてがわれるのがごく当たり前となってきます。ただし、その頃までにはまだ万能AIは開発されないので、一口にAIといっても、それぞれ得意分野を持つたくさんのAIが並んでいる状態です。人間はその中から自分や家族に合ったものを取捨選択して、各方面で支援してもらえます。成長の段階や必要に応じてAIの種類は適宜変わっていきますが、生涯にわたって何らかのAIが一人一人の人間のいろいろな面でパートナー、メンター、先生、友となるわけです。

(注:ここから先がAIから提示された部分)

たとえば、学校における授業でも教師役はAIが務めるようになり、生徒役にはひとりひとりの生徒が選んだAIがつくという形になるでしょう。そうなると、学校における人間関係も変化します。同じクラスの生徒同士でも、自分だけのAIがついていれば、その相手との関係性が変化していきますからね。
「なるほど……」
僕はうなずいた。確かにそうだよなと思う。学校の授業でだって、自分の苦手科目を教えてくれるAIがついたら、教師との相性もあるだろうけれど、きっと楽ちんだろう。
「もちろん、これは一例ですけどね。もっといろいろありえます。たとえば、企業においては社員同士の間でもAIを活用できるようになっています。それぞれの社員が自分で自分に合ったAIを見つけて、日々の仕事のサポート役とするのです。だから、社内において人と人との関わり方そのものが変わっていくことになります」
「そうか……!」
僕にはちょっと閃くものがあった。
「はい?」
「いや、いまの話を聞いていて思ったんだけどさ。そういうふうにして企業がどんどん進化していくとしたら、会社と会社の関係ってどうなっていくんだろうなって思って。

(注:ここまでAIから提示された部分)

 こうしてみると、御曽崎が事前に構想していたものとは、かなり方向もトーンも異なるものになっていくのが分かるであろう。講演風で始めた文章が、かなりくだけた会話調のものとなってきている。同じようにAI任せにするとどのようになって行くかの例をもう一つ見てみよう。

「大きく変わる教育制度」から

現在の教育制度は人間の肉体的な成長を軸として、仕組みの異なる教育機関で学ぶようになっています。具体的には保育園、幼稚園から始まり、小学校、中学と進み高校、大学、あるいは大学院という構造です。そしてそこにおける進学のルールは、主として年齢を基準にしたものであり、個人の能力や素質などで自由に選択することは許されていません。

しかし21世紀のなかばの日本では、このような固定的な教育制度は廃止され、異なる形態で教育や学びのステップが制定されてきます。そこには、もう小学校や大学といった組織はなくなり、それらの設備は単に、教育・学びの物理的な場を提供するものとなります。これら物理的な場と、内容的な場すなわちコンテンツが分離されつつ、両方の適切な組み合わせによって、人間の育成がなされるのです。

(注:ここから先がAIから提示された部分)
つまり、これまでのように学校を出れば自動的に「大人」として社会に出られるのではなく、さまざまな段階に応じた教育を受ける必要が出てくるわけです。

そこでここでは、この新たなシステムにおける教育の場について考えてみましょう。

――――――――

●学習の場:ゲームセンターなど まず最初に考えられるのは、これまでも何度か触れてきた「ゲーセン」に代表されるような「遊び場」です。そこでは「学ぶこと」よりも「遊ぶこと」が重視される空間であり、またそのようにデザインされていると言えます。たとえば、格闘ゲームに熱中する若者たちがいる一方で、メダルゲームを楽しむ子供たちもいるでしょうし、ビデオゲームで遊んでいる若者の横では、カードゲームで対戦する親子連れの姿もあるかもしれません。このように、ゲーセンには多様な人々が集まってきており、それぞれの人がそれぞれに楽しんでいる場所なのです。

もちろんこれらの場において必要なものは、「遊び道具」そのものではありません。それらはあくまでも手段であって目的ではないからです。

(注:ここまでAIから提示された部分) 

注:このAIが提示してきた最後の段落に関する2つのコメント。

コメント1
―――――――
学習の場:ゲームセンターなど まず最初に考えられるのは、これまでも何度か触れてきた「ゲーセン」に代表されるような「遊び場」です。

にみられる、――――、●、:「」などの記号の類も、全てAIが提示したものである。

コメント2
なぜ突然ゲームセンターのことが言及されたのかは、もちろんわからない。これはAIはブラックボックスといわれる例とも言えよう。しかも「これまでも何度か触れてきた『ゲーセン』に」とあるが、これまで一度も「ゲーセン」について触れたことはない。

 このまま進めていったのでは、とても次のテーマとしたかった「四つのジャンル」に結びつけることは無理であろうと判断し、AIからの提示を拒否したのみでなく、もう少し長いプロンプトにして、「四つのジャンル」の方向に進んでいくように仕向けてみると、以下のように変わった。

「大きく変わる教育制度」から(その2)

現在の教育制度は人間の肉体的な成長を軸として、仕組みの異なる教育機関で学ぶようになっています。具体的には保育園、幼稚園から始まり、小学校、中学と進み高校、大学、あるいは大学院という構造です。そしてそこにおける進学のルールは、主として年齢を基準にしたものであり、個人の能力や素質などで自由に選択することは許されていません。
しかし21世紀のなかばの日本では、このような固定的な教育制度は廃止され、異なる形態で教育や学びのステップが制定されてきます。そこには、もう小学校や大学といった組織はなくなり、それらの設備は単に、教育・学びの物理的な場を提供するものとなります。これら物理的な場と、内容的な場すなわちコンテンツが分離されつつ、両方の適切な組み合わせによって、人間の育成がなされるのです。
(注:ここまでは最初のプロンプトと同じで、この先の部分を追加したやや長いプロンプトを使ってみた)
では、幼稚園、小学校、中学、高校、大学といった枠組みが撤廃された後、どのような仕組みで教育がなされていくのでしょうか。一言で言うと、年齢を基準にした制度から、教育のコンテンツを基準にした制度に変わるのです。
コンテンツは教育を受ける個々人に合せて提供されるようになりますが、大きく4つのジャンルに分類されます。ジャンルによって、また同じジャンルの中でも、レベルや内容によって、無数の選択や組み合わせが可能となってきます。個別指導を得意とするAIの導入によってそれが可能になるのです。AIが提供する割合は多少異なってきますが、AIの大幅な導入によって教育・学びの変革が可能になるといっても過言ではないでしょう。この4つのジャンルとは、「知学」、「智学」、「創学」、「技学」の4つです。これらについて後に詳しく説明しますが、まずはそれぞれについて簡単に紹介しておきましょう。

(注:ここから先がAIから提示された部分)

1)「知学」(知識を学ぶこと)
AIが学習するのは、主に知識(インプット)です。例えば学校教育においては、先生から授業を受け、テストで良い点をとります。するとそのことによって、成績として数値化され、順位付けがなされます。これが「知学」の領域になります。

2)「智学」(知恵を学ぶこと)
AIが学習するのは、主に知恵(アウトプット)です。例えば学校教育においては、テストで良い点をとるにはどうすればよいかを考えながら勉強し、結果を出します。するとその結果によって、点数という形で数値化され、順位付けがなされます。これが「智学」の領域です。

3)「創学」(創造すること)
AIが学習するのは、主に創造(クリエーション)です。例えば学校教育においては、良い点をとるために問題集を解きます。そうすることで、より良い解答を導き出します。するとその結果によって、正解の数などによって数値化されて、順位付けがなされます。それが「創学」の領域です。

4)「技学」(技術を習得すること)
AIが学習するのは、主に習得(ラーニング)です。例えば学校教育においては、より効率的に物事を覚えるためにノートにまとめる方法を学びます。そうすることによって、

 (注:ここまでAIから提示された部分)

 こうすることにより、4つのジャンルのほうへ流れを持っていくことができたことが分かる。

 ここで驚くのは御曽崎が創作した「知学」、「智学」、「創学」、「技学」という4つのジャンルが、AIによってそれなりに定義づけられているということである。以前、偶然誰かがこれらの四つの二字熟語を使った文章をこのAIで使用したため、そこにデータとして蓄積され、AIがこれらボキャブラリーとして持っていた可能性も否定できないが、その可能性は低いと思われる。知、智、創、技、学という五つの漢字について、それまでに揃えている漢字に関するデータを活用して、ここに現われた四つの新しい造語の二字熟語について独自に定義付けをしたと考えられる。

 しかしながら、例えば最初の「知学」の項をもう一度読んでみると、

1)「知学」(知識を学ぶこと)
AIが学習するのは、主に知識(インプット)です。例えば学校教育においては、先生から授業を受け、テストで良い点をとります。するとそのことによって、成績として数値化され、順位付けがなされます。これが「知学」の領域になります。

このように、理路整然としているとは思えないどころか、「言語明瞭なれど意味不明」という感じがする。他のジャンルについても同様である。

一方、この四つのジャンルを説明するのに、例えば「知学」(知識を学ぶこと)のように、全て『X学』(YYすること)という形で始まり、最後にこれが『X学』の領域になります、で終わるとパターンを採用しているのは、一つの工夫であり、文章のパターン利用に関する前持った知識、あるいは学習で覚えた効果と言えるのではないであろうか。

しかしながら、その説明内容については全て「AIが学習するのは、主にXX(YYYY)です。例えば学校教育においては、」の繰り返しであり、最後の方も「数値化され、順位付けがなされます。」の繰り返しであり、あまりに画一化されているという印象を持つ。新たに定義を作って行くといった、創造的な作業はあまり得意ではないと言えるのではなかろうか。

 このようなAIのからの提示に難点がいくつもあったにもかかわらず、最終的に「50.2御曽崎がAIに作らせた文章」の中の「4つのジャンル」に示すような文章になったのは、詳しいプロセスは省力するが、AIと御曽崎の間のやりとりの賜にほかならない。

50.5 文章作成AIの利用実験を終えて

{本の中のナビゲタ}皆さんはこの文章作成AIの利用について、どのような感想を持たれましたか。初めのうちは戸惑いもありましたが、使い方に慣れてくるとそれなりに利用する価値があるな、と御曽崎は思ったようです。以下はその御曽崎のメモです。

明らかに時間あたりの文章作成量も大幅にアップできたし、文章作成AIは使いようによって、よいパートナーとなるような気がしてきた。自分の構想をしっかり据えながら、AIと会話あるいはやりとりをするつもりで進めるとよさそうだ。そのような使い方の要領も得てきたので、次の機会にはもう少し時間をかければ、もっと洗練された文章が書けるような気もする。しかしながら、論理展開はあまり強くないようなので、自分が今回やった解説文、提案文タイプの文章などより、小説のような自由にストーリーの流れを作っていけるようなものの方が、より適しているかもしれない。

一方、AIシステム側の改善も期待したいところである。やはり論理構成や因果関係などに違和感を覚えることがままある。不連続な流れや突然のジャンプが気になるところもある。逆によくコントロールしていかないと、同じような内容が繰り返されて、しつこく感じることもあった。あまり内容にマッチしない「例えば」などが出てくるような時もみうけられた。さらに欲を言えば、アウトラインからそれに沿った文章を起こす機能とか、プロンプトに示された文章の流れを正確に把握し、その流れに沿った文章を作っていくというような機能を持つようになると良いと思う。

 御曽崎のメモにあるように、AIに任せきりはまだ無理なようではあるが、AI利用で文章の作成効率は上がるのは間違いないようである。当面はこのような自由作文においては、AIが書いたと言っても、作品の出来具合は一緒に書く人間の能力あるいは注意力に大きく左右されると言えるだろう。

 ところでこの第50章では、長文作成AIを使う実験として、教育におけるAIに関する題材を取り上げたが、この教育界におけるAI利用については、いろいろ論議されている。いつかこの話題を第一のコイン「AIを知る」の中の「分野毎の考察」や、第三のコイン「ホットな話題」でも取り上げてみたいと思っている。

{ここは考えどころ} クリエーターへの道を考える

このAI利用の実験をして、御曽崎は文筆活動に興味を持ち始めた。会社を辞めて、文筆活動に専念しようかとさえ思いだした。人生多毛作も面白そうだなと、また夢想が止まらなくなってきた。そこで、奥さんの顔色をうかがいながら、ちょっとそのことでジャブをだしてみた。しかし奥さんから「何を言っているのよ。それこそ冗談ポパイのホウレンソウよ」と、二人が楽しむテレビ番組によくでてくる言葉で一蹴されてしまった。
それに対して、御曽崎の諦めも早い。「そうだよな、まだAI任せで名文ができるわけでもないし、21世紀のなかばのようにAIアカデミーが実現しているわけでもないのだから、文筆家になるためのリスキリングも容易ではないな。そんなことより、明日の経営会議の資料にちょっと目を通しておくことにするか。」
しかし、文章作成AIを用いると、文章作成のスピードが上がることは、ほぼ間違いない。そこに注目して、まずは余暇を利用して、趣味的に文章作成AIを用いて、文筆活動を始めるのも悪くないのではなかろうか。何も御曽崎のように単純にすぐ転職まで考えなくても。気づかずにいた自分の才能を見つける機会になるかもしれない。もし、文章作成AIの助けをかりながら、ひょっとして自分にも多少なりとも文才があるのではないかと思うようになったら、その評価を少しずつ世に問えばよいのではないだろうか。
これはクリエーターになる一つの道となろう。そもそもAIの発達によって、多くの面で繰り返し的作業は自動化されていく時代、人間は広い意味でクリエーターにならざるを得ないとも言われる。そんな時代に備えて、いまから試行錯誤するのも悪くない。何も文章作成AIに限らない。デザイン作成AIでも、音楽作成AIでも、動画作成AIでもよい。余暇を楽しむ程度の気持ちで十分。何かに挑戦してみたらどうだろうか。こんな方法ならばリスクはないし、たとえ高齢になっても気楽にできそうである。
もし、その様にして挑戦した創作物が売れるようになっても、最近は副職を認める企業も増えてきた。それを本職にするかどうかは、それから考えればよいのではなかろうか。


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