第2章 今さら人に聞けない「AIとは何か」

 {ブログの中のナビゲタ}日常茶飯事的にAIという言葉を見るようになってきましたが、「AIとは何か」という疑問に明確な答えを出せる人は少ないと思います。確かに答えるのが難しい質問と言えます。一方では、新聞紙上にAIという字が載らない日はないと言えるほど、頻繁に見られる言葉となってきて、多くの人が分っているような錯覚に陥りやすくなるのも事実です。そのため、今更「AIって何ですか」とも聞きにくいような気がする人も多いのでは。
 しかしながら、そのまま曖昧にしておいたのでは、いろいろAIについて調べたり考えたりしていく上で、何かと不便に思うこともでてくるでしょう。そこで、ここ第2章では、「AIとは何か」について考えて行きましょう。

2.1 一見もっともらしい定義

まずは「人間やその他の動物が示す知能に対して、人工知能(AI)は機械によって示される知能」という定義のようなものがある。確かに「AIは機械によって示される知能」というのは、表現としては正確ではあるし、それなりの境界(バウンダリー)が示されると言える。

しかしながら、これでは単に「人工知能」という単語を他の言葉に置き換えたに過ぎないというそしりを免れないかもしれない。実際この定義では、たくさんある機械の中で、何がAIで何はAIでない、といった判断はできない。言うまでもなくすべての機械が知能を持っているわけではない。なんらかの知能をもっている場合でも、単純なものからかなり複雑・高度なものまで多種多様で、どこからどこまでをAIと呼ぶかはっきりしない。

例えば、街角でよく見かける自動販売機だって、時によって複雑なお金の組み合わせを受け取り、指定された飲み物を出口に出し、その後釣り銭を計算して、おつりを正確に出す。これは平均的な幼稚園児には期待できないような知能を使う動作と言えるが、誰もこの自動販売機のことをAIとは言わない。

別の表現から考えてみると

「人間も含めた生物の知能空間にはない領域の知能を、人工的(工学的)に構築したものが人工知能ということができる」という、やや難しそうな表現を用いた考えもある。これを優しい言葉で言い直すと「人間などの生き物が持たないあらたな知能を、機械で実現するものがAIである」ということになろう。これについて少し考えてみよう。

ここで「あらたな知能」とは、これまでとは全く異種類の知能のことだけを指すとなるとあまりに限定的で、AIと呼べるものがかなり限定されてしまいそうである。そのようなスーパー知能ではなく、それぞれは人間のもつ知能ではあるが、それらを組み合わせることが困難であったものを新たに組み合わせることによってできる知能や、何らかの方法で実行するスピードや精度を格段に上げることにより、それまでは実質的に不可能であったことをこなすことができる知能なども含まれると考えれば、「あらたな知能」が指す領域は広がる。しかし広げ過ぎると、あまりにたくさんのものがAIと見なされることになるであろう。

例えば部屋にかけてある電波時計。人間あるいは動物は周りの状況からある程度時刻を推し量る知能は持っているが、電波時計のように周りの状況のいかんによらず、正確に時刻を刻む力はない。だからと言って、電波時計をAIであるという人はいない。さて、どうしたものか。

歴史から考えてみると

AIという言葉が始めて使われたのは1956年であり、もう半世紀以上前と言うことになる。その後技術は進歩し続けているので、時代によってAI研究の主要な対象とされてきたものも変わってきている。そのため時間と共にAIの概念が変わってきても不思議はない。

例えば30年前にAIと呼ばれたものが、いまは誰もAIとは呼ばないということがありうる。これはとりもなおさず、今「この範囲のものをAIと呼ぼう」等と合意がなされたところで、それがいつまでも維持される可能性は非常に低いことを意味する。

 さらに特に最近、AIは凄まじい勢いで進歩している。まさに日進月歩のスピードをはるかに上回る、秒進時歩ともいえるスピードである。少し前に画期的と思われたことが当たり前のようにできるようになり、あるいは少し前には「そんなことがいつできるか予測できない」と言われたことが、案外早くできるようになることもある。このように「すごい」とか「当たり前」という印象をもつレベルもどんどん変わっていく。「当たり前になるとAIの仲間にいれてもらえなくなる」という表現があるくらいである。これらのこともAIの定義を難しくしている。

さらにマスコミなどでAIと銘打って議論され、紹介される内容は、実に多岐に渡る。知能を生み出す技術や方法そのもの、それらを利用した応用技術、さらには応用技術が使用された個々のサービスやシステムなど様々である。そしてそれらのサービスやシステムも一つの機械やひと塊の機械によって実現される場合もあれば、警備システムのようにビル全体とか地域として提供されるような場合もある。このようにAIの対象と考える範囲も大きく異なる。

このようにいろいろな面を考えると、元も子もないような結論になるが、AIとは定義がはっきりしない、何が含まれ何が含まれないかも判然とせず、枠組みのはっきりしない世界である、と言うところに帰着せざるを得ない。

{ブログの中のナビゲタ}どうかこの結論で「なんだつまらない」と言って閉じないでください。ここで言っていることは、AIが何であるかを多数の人が納得する形で、しかもわずか1,2行の定義で表すことは至難の業であるということです。従って、「今さら人に聞けない AIとは何か」というより、「人に聞いても明解な答えを期待しにくい AIとは何か」だと考えても良さそうですね。
 それでもAIが何であるかを知ることはこのブログの大きな目的の一つであり、たとえここでAIのことが綺麗に定義できなくても、このままブログを読み進めていけば、徐々にこの目的は達成できるでしょう。
 とはいっても、ここで「少しはすっきりさせたいな」と、考える方もおられるのではないでしょうか。そう思うか否かはともかくとして、この「AIはとは何か」について、次の項でもう少し考えていきましょう。

2.2 自分流のAIの定義

専門家の中には、AIの機能や目的などを抽象的あるいは哲学的な表現を用いて定義しようと努力している人もいるが、上にあげたような種々の理由により、本質をつかんだ定義をするのは至難の業に近い。

しかし現実問題として、既に世の中にはAIという言葉が氾濫して「え、これをAIと呼ぶの?」というようなものも見受けられるようになった。乱用や行き過ぎを避ける意味でも、AIとは何かということを明確にしたほうが良いと感じられることがあるのも確かである。「AIとは何か」とか、「これはAIではない、一方、これはAIだ。なぜならば、これこれだから。」といった判断をする根拠があると、ある程度乱用や誤解を避けることができるだろう。

あるいは定義とは言わないまでも、何かしらの範囲を決めないとあまりに雲をつかむような話で、気持ちが落ち着かないという人もいるかもしれない。そんな気持ちを落ち着かせるためにも、またもっと現実的な意味で、最近乱用されつつあるAIという言葉に「騙されない」ためにも、なんとかしたいところである。

世の中でコンセンサスを得るような定義付けをすることが困難ということならば、自分なりにAIの定義を持つのも良いのではないか。定義といった厳密なものでなくても、概念のようなものでもいいだろう。そうすれば、「広告では、セールスマンは、あるいは一部マスコミや評論家は、こう言っているが、俺はだまされないぞ」と自信が持てるのではないだろうか。この定義は「自分なり」なのであまり強く主張しないほうがよいかもしれないが、反面あまり厳密さはいらないし、時代の変化に合わせて変えていっても構わない。自分にとって明確で、使いやすければよいのである。

{ここは考えどころ}自分流のAIの定義を考えてみる
 上の意見についてどう思われますか。そんなことをしても意味がないという考えもあるでしょう。一方、ことAIに限らず、世の中でコンセンサスを得ることが難しいそうなたくさんのことについて、自分流のAIの定義を考えるのも面白い面もあります。例えば「人生の目的」とか「人間の幸せ」といったものも、自分流の定義を考えていくと哲学の散歩道を楽しめそうです。
 まあそんなに広く構えなくとも、自分流のAIの定義を考えてみるも面白そうだなと思われるならば、これまで読んできたことを参考にして自分なりの定義あるいは概念を組み立ててください。そんなこともAIを考える楽しさになりうると思いますよ。

自由自在に変えていく

とは言うものの、自分で勝手に定義しろ、あるいは概念を固めろと言われても、どうしていいか迷われる人も多いかもしれない。でもそこは前の章の中の「1.3 AIとは何かに挑戦した御曽崎」で彼が考えてきたようなものから出発して、だんだん変えていけばよいでしょう。

すなわち、「使えば使うほど利口になるシステム」とか「得られたデータを分析して、それをもとにみずから判断し、高い精度で目的を達成すること」といった不完全なものから始めていってもいいのではないだろうか。とにかく始めてみて、何か気がつくたびに、変えていくので構わない。このキーワードを追加しよう、といった具合に変えていくこともできる。そのほうが時間とともに、どんどん変わっていくAIにキャッチアップしていくのに好都合とも言える。

例えば、AIができることで最も注目されていることの一つは、判断ができるだけでなく、学習をすることによってその精度をより高くすることができる、という点である。たとえば碁のプログラムのほとんどは学習機能をもっている。このような碁のプログラムは、ゲームを行う回数を重ねていくと、どんどん強くなっていく。前の章の中の「1.2 奥さんの身近にあるAI」で取り上げた最新型の掃除ロボも学習機能を持っているといえる。このように、最近注目されているAIのほとんどは学習機能を持っている。そうなると「学習」というキーワードをこの自分流のAI概念の中に入れるのも一案ではないかと思われる。

ただここでも注意すべきは、すべてのAIが学習機能を持っているとは言えないという点である。例えば、御曽崎が使っている自動運転車はAIを用いているが「学習」をしているとは思えない。走る距離を重ねていくと運転がさらにうまくなっていくことはないからである。それでも、さらに進んだ自動運転車はサーバーとネットワークで結ばれて、「学習」をするようになっているものもある。

{ブログの中のナビゲタ}ここで「学習」という言葉がでてきましたが、学習とは何であるか、あるいは機械による学習とは何のことか、という疑問が浮かんでくる読者もいらっしゃるでしょう。どうやって機械が「学習する」のか、あるいは機械が何を学習するのか、という疑問ですね。これについてもおいおい考えていきます。

心がけで変わる読み方

新しい製品やサービスを紹介するAI関係の記事などでは、「AIが何々する」といったような言い回しをよく見かける。そのように言われると、あたかもすべてをAIが取り仕切っているという印象を受ける。ところが注意して読むと、実際はその「何々」そのものにAIを使うのではなく、その目的を達成するのに必要ないくつかのプロセスのうち、どこか一つか、せいぜい二つ三つでAIが得意とする機能を使う程度のことがある。

例えば、「AIをつかって、お客ごとの店の利用履歴によってきめ細かく対応を変える」という記述があれば、これはAIがきめ細かい対応を考えるという印象を受ける。お客の利用履歴にしたがって、AIがそっと従業員に個別にどのように対応するのがよいかを指南するのかというようなことを思い浮かべる。しかし記述してあることを注意深く読むと、監視カメラを使って顔で客を識別することにAIの画像認識機能を使っているだけの場合もある。カメラに写る客の識別さえできれば、その利用履歴を利用して、好みや頻繁に求める商品を特定するのは、既存の顧客管理システムでもできる。

自分流の定義とか概念を考えようと心がけていると、このように記事などの読み方が変わってきて、実態を正しく理解できる可能性が高まってくる。

画像認識のことが出たついでに、前章の「1.1 意外と身近にあるAI」で紹介したテニスの大会で使われる「チャレンジ」用システムについて。じつはこのシステムも画像認識技術が使われている。大会によって異なるシステムを使っている可能性があるが、次のようなものが考えられる。記録された画像の中からボールを認識し、その動きを観察する。ボールは地上に落ちると跳ねて、それまでとは異なった動きをするのを利用して着地点を特定する。同じく画像認識機能でコート上のラインも認識して、ボールの着地点とラインの関係を明示することができるのである。

なおこのように、AIが得意とする画像や音声の認識機能を使う例は非常に多い。したがって「画像や音声の認識機能を使うものはAIと言ってよい」といった具合に、「何々するのはAIと言ってよい」といった例示的なことを並べて、自分流のAI定義をつくるのもいいかも知れない。

自分流のAI定義の作り方の例

 記事などを読みながら「これはなぜAIと言えるのか」ということを考えると自分流の定義を作るためのヒントを得られことがある。それを何回か繰り返すうちに、それなりのAI定義ができてくる可能性がある。

例えば、「人工知能(AI)で茶葉の画像を解析し、摘むのに適した時期を判断する技術を共同で開発」という記事を目にしたとき、AIはどこにかかるのかと考える。「画像を解析」にかかるのか、「判断する」にかかるのか、あるいは両方か、と言った具合に。そこで記事の内容を読んでいくと、次のようなメッセージが並ぶ。

畑で撮影した作物の画像を、画像解析技術を活用して分析

茶栽培についての知見を組み合わせ、摘み取り前の茶葉についてアミノ酸や繊維の量を推定できる技術

産地で撮影した約4000枚の茶葉画像をもとに学習

茶葉は摘み取りが遅くなると収穫量が増える一方で品質が落ちる。これまで適切な摘み取り時期を見極めるためには、長年の経験から判断するか、一部を摘み取って加工し専用機で分析する必要があった。

摘み取り時期の判断の難しさは新しい生産者を育てる上で課題の1つとなっている。

 これらから、前項であげた「何々するのはAIと言ってよい」といった自分流のAI定義をつくろうとすると、「何々」は次のような語句が候補になりそうである。

 「画像解析(画像を分析)、量を推定、学習、人間が長年の経験から判断することを判断できる、加工し専用機器で分析する必要があることを分析できる」

 このようなことを積み重ねて、修正したり、削除したり、追加したりしていくと、ソフトな定義ができあがってくるのではなかろうか。

{ブログの中のナビゲタ}ここにあげた例を一つの参考にしながら、とりあえずここで自分流のAI定義とか概念を考えてみてください。そうすると本の読み方が変わってくると思います。さらに、この本を読み進んでいただくと、きっとそれをよりふさわしいものに変えていくことができると思います。

2.3 AIは何でできているのか

{ブログの中のナビゲタ}ここまで「AIとは何か」について、定義的に明確にしてみようとしてきましたが、ここからは話の方向を変えて、AIは何でできているのかという構造的な面などから、「AIとは何か」を考えていくことにしましょう。

これまでに既に機械という言葉が出てきた。AIと、この機械との関係はどのようなものなのかを考えてみよう。

 現在のところAI、すなわち人工知能を示す機械とは、コンピュータのことであると言える。とは言っても、コンピュータと呼ばれない機械が人工知能を持っていることもあるように思えるかもしれない。自動運転用の自動車がその例であろう。自動車とコンピュータは違うものと思う人は多いだろう。しかしこのような場合でも、実は自動車の車体にコンピュータが入っているのである。そこでちょっとコンピュータのことを整理してみよう。 

使われるコンピュータにもいろいろな種類がある

コンピュータは事務所や自宅にあるPC(パーソナルコンピュータ)のような単体の機械であることもあれば、どこかのセンターに複数置かれ、互いに通信網(ネットワーク)でつながれ、複数のユーザーが使用するような場合もある。また、ある特定の目的で作られた機械の中に組み込まれたコンピュータもある。このような機械の中には「コンピュータ内蔵」などの表示がされている場合もある。

一般にAIは開発コストも規模も大きいことが多い上、特定の目的のために提供される。そのため、複数のユーザーが共有して使用しないとコスト的に高くつくため、センターに置かれたサーバー(もともとはセンター等に置かれたコンピュータをサーバーと呼んだが、今では必ずしも厳密に区別されないことが多い)を複数のユーザーが使用することが多い。

ちなみに、これらのサーバーはネットワークで接続されているので、複数のサーバーが協働して、一つのAI機能を提供する場合もある。世界中に分散されたサーバーを、これまた世界中に張り巡らされたネットワークで接続して使うというようなことも頻繁にある。このような利用形態は何もAIだけに限られるものではないが、一般にクラウドと呼ばれる。ネットワークで接続されたセンターに置かれたサーバー類をクラウドコンピュータ、それを利用することをクラウドコンピューティングと言う。

一方、クラウドコンピューティングに対して、端末でデータを処理することは「エッジコンピューティング」と呼ばれる。この方法ではいちいちクラウドにデータを送る必要がないため、高速の解析処理ができるうえ、消費電力も小さくできると考えられている。そのためAIの種類によっては、このエッジコンピューティングを利用するものもある。

例えば、水道がない地域でも、あるいは大規模な地震によって水道が使えなくなった時でも、使った水をその場で循環して使う仕組みの水再生処理装置がある。一般に水再生処理そのものはさまざまな方法があるが、そのほとんどは大規模施設であり、管理のための専門家も必要である。それに対して、この水再生処理装置は自律制御技術を利用することで、安価で小型化でき、持ち運びを可能にし、どこでも水を得ることができるようにしたのである。

これは、センサー技術とAIによる機械学習の機能を組み合わせて水質を詳細に分析し、その結果から自動的にフィルターにかける水圧などを調節したり、塩素や紫外線で殺菌したりすることで、排水を再利用できるそうだ。水質は時間と共に変わっていくため、状況を分析してすぐに処理をする必要がある。多くのデータを取得し、それをAIでモデル化して最適解を出すことで自律制御する。車の自動運転の場合もそうであるが、このように持ち運びが可能、自律制御ができる、状況を分析して瞬時に必要な処理をする、といったことを実現するにはエッジコンピューティングを利用したAIが有利な場合が多い。

クラウドコンピューティングとエッジコンピューティング間の選択や分担方法は、時として重要な要素になりうる。例えば、画像認識などのデータ解析は多くの場合クラウドやサーバーで実施されるが、その一部を端末に設置されたセンサー段階で処理するような場合がある。これはセンサーで取得した情報を、端末で処理する(エッジコンピューティング)部分と、センターにある大型コンピュータで処理する(クラウドコンピューティング)部分に使い分けて解析するのである。即時性が必要な場合はエッジを、それ以外はクラウドを用いることで、反応速度を速めたり、処理のために伝送するデータ量を大幅に削減することによって、システム全体の運用を効率化することができる。

{ブログの中のナビゲタ}ここに出てきたクラウドという言葉は、既に広く使われるようになったと思われますが、念のため専門解説コラム:「クラウド」で少し説明します。

{ブログの中のナビゲタ}コンピュータはたくさんの回路やソフトから成り立っていますが、それらの中で特に中心的な役割を果たす「AIチップ」と「プログラム」について説明します。ただこの二つの項目は、多分に技術的なことであり、やや細かい話になります。興味ある方はもちろん読み進めて頂きたいですが、「AIはコンピュータでできている」と言われて、「ああ、そうなんだ」と満足がいく方は、これら二つは読み飛ばしても構いません。

AIチップ

少し前まではAIに用いられるコンピュータの多くは、汎用のコンピュータであった。しかし、AIには特定の計算や処理を大量に実行する必要のあるものも多く、それらのために、AI専用のコンピュータも開発されてきている。コンピュータの中で中心的な役割を果たすのは、必要な計算や処理を行う処理装置であるが、AI専用の処理装置はAIチップと呼ばれる。このAIチップは、AIに必要な計算や処理を行う電子回路を一枚の半導体の上にびっしりと並べたものである。

AIチップの開発は、大型コンピュータのAIの能力向上のみでなく、ある特定の目的で作られた機械の中に組み込まれるAI専用のコンピュータの普及も促す。例えば自動運転用の自動車のように、車という特殊な環境において、時々刻々変化する状況に応じて即座に対応をしていくためには、このようなAIチップは必須と言える。車の中に限らず、一般にクラウドコンピュータと比べて、スペースの大きさや消費電力など制限が多いエッジコンピュータが高度なAI機能を持つためには、AIチップに対する期待は特に大きい。

{ブログの中のナビゲタ}上で述べている「AIに必要な計算や処理」とはどのようなものかは、今後順を追って考えていきます。また、どのようなAI用の処理装置があるかについては多少専門的になるので、専門解説コラム:「AI用の処理装置」に紹介することにします。

プログラム

コンピュータは大きくハードウエアとソフトウエアから成立っている。ハードウエアとは物理的な装置や部品であり、ここまで説明してきたことは主にハードウエアについてである。ソフトウエアはそれを動かして一定のはたらきを実行するためのものであり、オペレーティングシステム(OS)やアプリケーションプログラムから成立っていることは、広く知られている。

コンピュータに仕事をさせるには、コンピュータを動かす命令の集合であるプログラムが必要である。プログラムはコンピュータに仕事をさせるために、種々のデータや情報を取り込み、目的とする機能をどのように実現するかを記述する。コンピュータは計算、入出力などの処理をプログラムに示された手順で実行していくのである。プログラムは事細かくすべての動作を記述するのであるが、AI一つ一つについてプログラムを開発していく必要がある。

AIを開発するにあたって、このプログラムの開発は非常に重要な要素である。よくAI人材が大量に求められているといった記事を目にするが、そのかなりの部分はこのプログラムに係る仕事である。実現する機能や性能の細やかさ、速さ、正確性などはこのソフトウエアの作り方次第と言え、プログラムの出来ばえの優劣が大きくそのAIの性能の良さを左右するのである。

このプログラムを記述する言語をプログラム言語というが、その得意分野に応じてたくさんの種類が開発されている。その中でAI用のプログラムを作成するのに向いているプログラム言語がいくつかある。

{ブログの中のナビゲタ}プログラム言語の種類については、これもやや専門のことなので専門解説コラム:「AI開発に向いたプログラム言語」を参照してください。

2.4どこまでがAI

{ブログの中のナビゲタ}そもそもAIとは何かということを考えるため、「AIの定義」と「AIは何からできているか」という点から考えてきましたが、最後にどこまでがAIと言えるのかということを考えてみましょう。ここではAIと渾然一体となっているように見えるロボットとコンピュータとの関係について整理してみましょう。

コンピュータとAI

「AIとはコンピュータが作り出す知能だ」と説明する御曽崎は、奥さんから「コンピュータもAIもいろいろな仕事をするのでしょ。何が違うの」とたずねられた。その問いに、「まあ根本は同じものだが、枝葉が違うのだ」と、自分ではかっこよく答えたつもりだったが、「またあなたは、わかったような、わからないようなことを言う」という言葉が奥さんの顔に刻まれているのが分かった。

その奥さんは続けた。「以前はコンピュータが判断しますとか、コンピュータが選んだ、と言った具合に、コンピュータがやれば間違いないといわんばかりの宣伝文句をよくみかけたけど、それが最近ではコンピュータという言葉が、単にAIに置き換えられただけではないの」という突っ込みに、内心「確かにそんな感じがする時もあるな」と思いながらも、その場は受け流した。とは言うものの、難しい定義はともかくとして、誰にでもわかるようなコンピュータとAIの違いを言い表す言葉があるといいなと御曽崎も思った。

しかしながら、その解もちょっと考えてみると結構難しい。そもそもAIすなわち人工知能の働きをするのはコンピュータなのだから。AIとコンピュータの違いを論ずるのは難しい、というより無駄と言えるかもしれない。それでもなお、ちょっと気になる。御曽崎の奥さんが尋ねたかった点は、従来からあるコンピュータと、AI機能を提供するシステムとの違いは何かということであろう。

一般にコンピュータは処理装置やメインメモリーなどが収納されている本体というボックスと、ほかにいくつもの周辺機器で構成されている。周辺機器とはキーボード、ディスプレイ、スキャナー、プリンターなどデータの入出力を行うものが、その代表である。また通信機能をつかさどる装置も、多くの場合周辺機器になっている。通常、AI機能を提供するためには、本体以外にこれらの周辺装置も必要である。

世の中でコンピュータと言うときは、このようなシステムのことを意味する場合もあるし、そのシステムが作り出す処理結果を意味する場合がある。同様に世の中でAIと言うときも、システムのことを意味する場合もあり、そのシステムが作り出す処理結果を意味する場合もある。そこら辺が妻の頭を混乱させているのだろうと思ったが、それを説明するのは難儀だな、と心の中でつぶやいた。

御曽崎はそうこう考えている間に、以前営業をしている友人が、「AIが一番いいものを選び出すので、と言っただけで客の顔つきが変わる」と言っていたことを思い出した。おそらく同じシステムを使っていても、営業の人が「コンピュータが一番いいものを選び出す」と言ったのでは、もうお客さんからはたいした反応は出てこないだろう。「AIが何であるかも知らず、安易にAIという言葉を発したり、受け入れたりする人がなんと多くなったことよ」と、どこかで聞いたことがあるセリフが頭に浮かんでくる御曽崎であった。

ロボットとAI

AI機能を提供するためには、上に挙げたような周辺装置のほか、モーターとワイヤや歯車でつながれた腕、アーム、足など、いわゆるロボット機能が必要な場合もある。ロボットが精巧になるにしたがって、「ロボットもAIの一種でしょ」と思う人も増えてきた。しかしながら、ロボットに関する中心の技術はメカトロニクスとかロボティックスなどと呼ばれ、別の分野とみなすのが一般である。そのためこのブログでも、ロボットそのものについては基本的には対象外とするが、AIとロボットの違いを理解するために、AIとロボットの係りあいについて簡単に整理しておこう。

AIを活用するロボットとして代表的なものとして「コミュニケーションロボット」と「産業用ロボット」をあげてみよう。

前章の1.1項で御曽崎が取り上げたチャットボットやAIスピーカーが、人間とのコミュニケーションを主要な仕事とする「コミュニケーションロボット」の原点と考えることができる。ただしロボットとなると、単に会話のみでなく、自分の顔の向きや表情を変えたり、ジェスチャーなども行うのが一般的である。そのほうが人間に近い存在感を与えるからである。一人暮らしの高齢者をはじめ、いろいろな人のよきパートナーとなると期待されている。ビジネス界でのAIを活用するロボットの代表的としては、受付係などがある。

これらにとって主要な仕事であるコミュニケーションは、ロボットにAIの技術を組み込んで、人間の言葉、表情、声などを「認識」させることによって実現する。

ビジネス界ではホテル内や工場内の案内といった、行動範囲の広い作業をするロボットもいる。例えば不動産の展示場の例を取り上げてみよう。ロボットに搭載したカメラが首を一周させて室内を撮影すれば、AIがコンロとか流し、ベッドやサイドテーブルなどを認知し、台所や寝室などを識別しながら間取りを把握する。AIの画像認識技術により、ロボットは壁、ドア、窓、階段、段差、曲がり角などを認識しながら家の中を歩き回れる。そうしてくまなく家の中を歩き回ると、そこから入る設備や距離の情報をもとに、AIが家全体の間取り図や立体図を作成し、それを利用してVR(バーチャルリアルティ)映像を作ることもできる。

このVR映像で疑似内覧する時は、今どこにいるかを間取り図に示すことができ、ロボットが「ここは台所で、右がダイニングルームになっていて、左の手前が洗面所、奥が風呂場で、その間に勝手口があります。さてどちらを先にみましょうか」といったような質問をしたり、音声認識技術を使って利用客の指示を理解して、それに従ってもう少し台所を詳しく見せるというようなこともできる。

ここら辺はロボットとAIの協同作業と言えよう。その時AIは利用客の操作情報も集めるようなこともする。例えばどこに注目したかとか、どのような動線を描いたかを分析して、顧客が物件に求める条件や好感度などを推測する。

 一方、工場などの現場で組み立てや部品の運搬などをする「産業用ロボット」は、AIと結びつけられるずっと前から働いていたといえる。このような従来の産業用ロボットは、なすべき動きなどを全て人間がプログラミングして制御していた。

それが最近では、AIの技術を組み込んで、画像認識機能や学習機能をもたせることによって、工場内などで扱う物体の種類や配置などの環境が変化しても、その都度プログラムを変更する必要がなくなってきた。このように、移動や運搬に使うロボットもフレキシブルで、効率のよいものが出現してきた。これらはまさにAI化されたロボット、すなわちAIロボットである。

産業用ロボットは、ただ広い工場内や倉庫内を自由に移動できるだけでなく、もっと人間に近い動きができるものもある。例えばドアを開けてそこを通過することができるロボットもいる。その場合、ドアの存在や大きさ、スライドや押す・引くなどの開け閉めのタイプ、ノブの位置や形、ステップの有無などの認識といった前段階の作業をAI技術が実施する。続いてノブを回す・上げる・下げる、ドアを開ける、通過するといった物理作業をロボットの技術が実施する。このように、二つが協働することにより、より高度な作業について、人間の代行をするようになってきたと言える。

これらは身体に相当するロボットと、頭脳に相当するAIの連携プレーの例であるが、このようにAIとロボットが協働して初めて、ある目的を達成するようなケースも多い。

ITエンジニアに聞いてみると

技術について弱い自分がひとりでこの問題を考えても無駄であることをよく自覚している御曽崎は、社内のITエンジニアの板野にこのことを尋ねてみた。彼は「AIという言葉自体、それほど明確な定義が無いのだから、そこら辺のことは悩んでも無駄ですよ」と、キッパリ。

さらに彼は「だから技術を真面目に伝えたい我々ITエンジニアは、あまり使いたくない言葉なのですよね」と続けた。「先日、取引先とのミーティングで、『我が社は人工知能(AI)を使って分析をしています』と言ってきたので、『どんなモデルを使っているのですか』と突っ込んだら『企業秘密なので答えられません』だとさ。これだと、本当にAIを活用しているのか誰にもわからない。通常のコンピュータによる分析に過ぎないのかもしれない。自社を高く評価してもらうために流行の言葉を使う人がいるからね。こちらがその真偽を判定するしかないのですよね。」と皮肉交じりに付け加えた。

「ただですね、その真偽を判定するのも簡単じゃないのですよ」と、板野は続けた。「へえ、あなたのようなITエンジニアにも難しいですか」という御曽崎の問いに、板野は答えた。

「今はたくさんの記事などに、『AIを使って』とか『AIが』という表現がみられるが、そのほとんどが具体的にAIが何をしているのか、どのようにやっているのかを説明していない。そのためまずそこら辺から想像するしかない。ちょっとやってみるとすぐ分かりますが、これが結構難しいのですよ。」そう言いながら、彼はたまたま机の上にあった新聞をとりあげて、何かAIに関係ありそうな記事がないか探してみた。数ページめくって、一つの記事に目をとめた。

{ブログの中のナビゲタ}その記事は、宅配サービスに関するものでした。板野が技術的にどのようなAIが使われているかを見極めるのは難しいということを示すために取り上げた記事ではありますが、これは同時にAIの使われ方にも違いがあることを例示してくれています。そこら辺も考えていきましょう。

使われ方から考えると

その記事は「届け予定先の家のごく最近の電力使用量を把握し、事前にその家に人がいるか否かを予測することによって、配達の効率を上げることができる。これはスマートメーター(次世代電力計)からの情報を配送センターに送り、配送センターではAIを使って不在とみられる届け先を配送順路から外して、配達員に配送ルートを指示することによって実現できる」といった内容のものであった。

それを読んだ御曽崎は、これは届け予定先に人がいるかいないかは、その都度変わる情報で、それに基づき最適な配送ルートを割り出していくというのは複雑そうで、なるほどこれならAIが必要だなと思った。それに対して板野は「まあ、そう慌てて結論を出さずに、ちょっと考えて見ましょう」と、説明を始めた。

ここでやっている特徴的なことをあげると、(1)前もってメモリーに入ったデータだけではなく、ネットから送られてくるオンライン的なデータも使う点、(2)そのオンライン的なデータを受け取って、その都度この電力使用量のパターンならば留守の可能性が高いか低いかを推定すること、(3)あらかじめ地図上にプロットしてある配達予定地の中から、今回留守と判断された地点を除いた場合の最適な配達ルートを割り出すこと、などになりますね。このうち(1)と(3)は、最適解ではないにしろ、それに近いものを従来のコンピュータで計算できます。

問題は(2)です。ここはAIが使われている可能性があります。ただ、この留守判断の精度が問題です。もしこれがたとえば「直前30分間の平均使用電力量が0.1キロワットならば留守とみなす」と言った具合に単純なものならば特にAIは必要ないし、もしもっと高度なパターン認識をして判断するならばAIが必要という具合に、その精度によります。実は(3)についても、どのような情報に基づき最適なルートを選ぶかにもよります。単にその時配送する地点数だけから求めるならば従来のコンピュータでできますが、それだけでなく天気予報、交通情報、イベント情報、あるいは曜日や時刻による渋滞のパターンなどたくさんの要因も考慮して、最適なルートを選ぶとなると状況が変わってきます。

ちょっと専門的な話になりますが、この(3)も地点数が増えてくると非常に複雑な計算になってきます。たいていの場合、本当に最適なルートを選ぶのではなく、最適に近いルートを選ぶという、いわば近似解で済ませます。それをより最適に近いルートにするために、AIを使うということもありえます。

うーん、さすがにITエンジニアともなると解析的だなと感心する御曽崎に向かって、板野は更に続けた。先日、たまたま、同じ日に不動産業におけるAI利用の二つの例が舞い込んできたのですよ。

ひとつは不動産売却エージェントのダイレクトメール。「マンションの売却をしませんか。価格査定を無料でします」といったものである。それによると、まず「同じマンション、周辺マンションの流通状況、市場動向」「階数、専有面積、築年数、間取り、バルコニーの方向などの建築条件」「駅からの距離などの立地条件」「居住中・空き室・賃貸中などの入居条件」などからAIが価格算定をおこなう。次に「日当たり、眺望、オプション設備」「室内の状態」など、お部屋が持つ魅力や周辺状況など、AIでは判断できない個別の要因を加味した価格を人間が算出するとあった。

もう一つは、米国の不動産投資家向けに求める最適物件を探し出すAIを開発した企業の創業者に対するインタビューコラム。そこには、「(わが社のAIには)面積などの物件の基礎情報だけでなく、近くにカフェやスーパーがあるか、家族で住むのに適した環境かどうかといった周辺地域に関する情報も入っている。AIはこれらの情報に基づき、物件の優劣をつける。さらにこのAIを使えば物件の写真だけで日当たりやキッチンの仕様などまで判定できる。人手で数万の物件を比べてこのような最適な投資判断をすることはできない。」とある。

 さてこの中で、「物件の写真だけで日当たりやキッチンの仕様などまで判定」するとなると、従来のコンピュータ・プログラムでは困難と言える。明らかにAIによる画像解析が必要である。それに対して前のダイレクトメールの場合は、そこで述べている程度のことならば従来のコンピュータで十分のように思えるが、それも精度によるかもしれない。

 さらに面白いのは、インタビューのコラムで創業者は「家族で住むのに適した環境かどうかといった周辺地域に関する情報」をAIが扱っているとあるが、前のダイレクトメールでは、「周辺状況」は「AIでは判断できない個別の要因」と言っている。これらの例からも分かるように、もし言っていることが全て正しいとしたら、「できるAIも、できないAIもある」ということですよ、と板野は苦笑した。

板野は二人の会話が別の話題に移る前に、真面目な顔をして、「こんなことになったのは、AI開発は結構長い間専門家のあいだで議論されてきて、その間に焦点が何度も変わってきたことに一因があるのですよ。その時その時で、かなり異なる土俵で相撲を取ってきたようなものですよ。もう今更、収拾がつかなくなったと言えますね。一方では御曽崎さんが言う混乱の心配も理解できます。せめて、使っているAI技術の種類などを示す基準ができないものかとは思いますね」と締めくくった。

{ブログの中のナビゲタ}ここで板野が言及したAIの開発の歴史については、やや付随的なことなので専門解説コラム:「AIの簡単な歴史」にまとめておきます。

{ブログの中のナビゲタ}ここでこの章はほぼ終わりになるのですが、いかがだったでしょうか。「なんだ、結局AIとは何かということがはっきり分からないではないか」と不満に思いますか?まあ、そうかも知れませんね。しかしこの章を読む前と、読んだあとでは、ある程度はAIの理解が進んだとは思いませんか。
 少なくとも、一言で「AIとは何か」と表現することは不可能である、ということは理解できたし、それがなぜかと言うことも分かってきた。しかも「AIは何でできているか」という部分のように、はっきり分かった部分もある、というところではないでしょうか。
 そして、ここで諦めずにこの先を読み進めてください。きっと、AIがすっきりと見えてきますよ。


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“第2章 今さら人に聞けない「AIとは何か」” への1件のコメント

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