{本章の概要}将棋の世界は、早くからAIを実用的に導入したことで知られています。将棋を指す人でなくとも、ここからAIと人間の関係についていろいろな示唆を得ることができます。前半は将棋界のAIに関する御曽崎の疑問について考えていきます。
{ブログの中のナビゲタ}いくら日本では将棋には長い歴史があり、特に最近はその人気が上がってきているとは言っても、読者の中には将棋の知識や興味など全く無い人もおられよう。でも大丈夫。将棋には深入りせずに話を進めて、そこからAIと人間の関係について何を学べるか、一緒に考えていきましょう。
ここは少し長いです。よろしければBGMを聞きながら読み進めてください。話は将棋の世界ですから、曲は「王将」です。威勢のよい曲なので、BGMとしては少しボリュームを下げるのがお薦めです。
最近御曽崎は甥と姪から「将棋をやろうよ」とせがまれるようになりました。彼は小学生のときに一時将棋に熱中した覚えがありますが、その後は全くご無沙汰です。そのため将棋について多少勉強しなければと思い、書店で将棋が強くなる本の類を2冊買って読み始めましたが、自然と将棋に関する新聞の記事なども目にとまるようになりました。彼はそこに何を見いだしたでしょう。
御曽崎は昔取った杵柄のおかげで、はじめのうちは甥や姪を相手に、多少手加減しながら余裕で遊んでいたが、甥や姪のようになかなか定石などが覚えられずに、半年も経たぬうちに負けることが多くなった。そのせいもあり、御曽崎は徐々に甥や姪との勝負よりも、AIがもたらした将棋界の変化のことに興味を惹かれるようになった。そこで気がついたのは、今の将棋の世界はAIと無関係ではいられないということである。
一方、新聞の記事や解説を読んでいると、将棋界におけるAIについて、いくつかの疑問が湧いてきた。そこでまた彼らしく、これらの疑問を整理してみた。
- 10.1 なぜ将棋界ではAI利用が進んだのか
- 10.2 将棋AIはなぜ強いのか
- 10.3 AIの方が強いと分かっているのに、なぜ将棋の人気は落ちないのか
- 10.4 将棋AIは何種類?いまだに進化しているのか
- 10.5プロ棋士はどうAIを使っているのか
10.1 なぜ将棋界ではAI利用が進んだのか
小学校の時にかじっただけとか、駒の動かし方と基本的なルールくらいは知っているから、温泉でゆっくりしている時に何年かぶりに指すといったレベルも含めれば、日本では将棋人口の裾野は広い。そのため将棋界では古くからコンピューターソフトが広く利用されてきた。AIがどうのこうのといわれるようになる前から、沢山のコンピュータ将棋のソフトウェアが開発され、利用されていた。AIもコンピュータソフトウエアであるから、将棋AIもそのような将棋ソフトの延長線上にあるとも言え、将棋愛好家の間ではその出現はごく自然な流れと受け止められてきたであろう。
それでも将棋AIの開発当初は、将棋には複雑なパターンが存在するためAIによる人間の攻略は困難とされていた。それが10年程前からプロ棋士を負かすレベルまでに至った。これは当時かなりセンセーショナルな話題となり、将棋愛好家以外の人の関心も引きつけた。それ以降、自らを上達させるツールとして、AIを取り入れるプロの数が増えてきた。今をときめく藤井聡太八冠にも、AIが無かったならばまず出現しないであろう指し手が見られるという。
このようにAIを相手にした将棋の研究はプロの間でも、ひとつのモデルとなってきているのみでなく、アマチュア界でも広がってきている。このように将棋AIは多層の人に利用されている。しかも後に述べるように、将棋AIの浸透が、将棋愛好家の幅を広げているようである。
このような量的な要素のみでなく、質的な要素もある。将棋AIが進歩していく中で絶えず沢山の発見がなされているのである。例えば、将棋の終盤は、これまで人間が想像していた以上に難解なことがAIで分かってきたそうだ。このような新しい発見も、将棋界でAI利用が進む理由の一つと言えよう。このように量と質の両面から、将棋界ではAI利用が進んできた理由があると言えよう。
10.2 将棋AIはなぜ強いのか
前項で、将棋には複雑なパターンが存在するため、当初人間の攻略は困難とされていた、とあるように、将棋AIもいくつかの試行錯誤がなされてきた。現在主流とみなされているのは、対局の場面ごとに、「どう指すと勝率が高くなるか」をコンピュータがはじき出す方法である。すなわちAI は次の手となりうる大量の候補それぞれに評価値をつけ、「いちばん勝率が高い」と判断した着手を繰り返していく。この評価値を用いる方法は、将棋AIを強くすることに大きな貢献をした。
その評価値の計算にはいくつかの方法がある。その一つが、あらかじめ、駒の攻めの効きと守りの効き、王の位置などの要素をそれぞれ関数化しておく方法である。毎回、現在の盤面上の駒や手駒について、それぞれの関数に入力すると数値が出て、その総合点を評価値とする。ほかに、次の候補手を指したあと、次の候補手、さらに次の候補手と何千万、何億局とコンピュータの中で仮想対局を進め、一番勝率の高い手を選択する方法もある。しかもこれらの関数化や勝率の計算方法も、一度決めればそれまでというのではなく、学習機能で精度を高めてきた。
いずれにせよ、これらの計算は大変な量であり、とても人間の手には負えない。そこに将棋AIが人間よりも強くなれる秘密がある。
10.3 AIの方が強いと分かっているのに、なぜ将棋の人気は落ちないのか
この疑問の解としてまず挙げられるのという新たなという新たなスターの登場であろう。このスターは、史上最年少(14歳2か月)で四段昇段(プロ入り)を果したことから始まり、公式戦29連勝の新記録、その後のタイトル獲得、昇段記録・タイトル二冠 から八冠取得で最年少記録を塗り替えている。その活躍により将棋ブームが起こっただけでなく、「藤井フィーバー」とまで言わる社会的現象を引き起こした。そのおかげで「自分では将棋をやらないけれどプロの将棋を見るのが好き」という、プロ棋士に興味を持つイージースタイルなファンも増えたとも言われている。これは直接AIとは関係がない一人のスターによる要素ではあるが、後に紹介するように、このスターもAIによって育てられた面があることが否定できない。
AIそのものが将棋の幅を広げたため、将棋の人気を上げたという要素もある。将棋AIは強くなる過程で既存では考えられない戦法を生み出す。現在ではほとんどのプロ棋士がその将棋AIから戦法を学ぶ。結果として既存では考えられない戦法を楽しめる機会が増えたためである。また、素人がプロの名人と対戦することはまずありえない話であるが、将棋AIを使うことによって、名人並みの実力者と対戦することも可能となってきた。どのような世界でも、素人が気軽にその業界の一流の人と競う、あるいは渡り合えるというのは、夢のような話と言えよう。
その他、AIの利用が将棋観戦の楽しみ方を広げたという面も無視できない。タイトル戦など多くの対局を中継するインターネットテレビでは、前項で説明したAIによる評価値を映し出してくれる。そのおかげで、AIの活用以前には、「プロの将棋の中継をみても、正直どちらが優勢か分からない」といった素人にも、形勢判断は一目瞭然となった。これは自分では指さない「観る将(みるしょう)」と呼ばれる将棋ファンの開拓に貢献している。
このようにして、AIの方が強いと分かっているにもかかわらず、将棋の人気は上がった。素人棋士のあいだで、将棋AIで遊んだり、学んだりすることが広まってきているのみでなく、将棋に関連するグッズや書籍の売り上げが伸び、将棋をテーマにしたコミックや映画が話題を呼ぶ、さらにはプロ棋士が選ぶ料理が注目されるなど、若者や女性層にも人気が広まった。
このように将棋AIは、どちらが優勢か、あるいはその手は良かったか悪かったか等を教えてくれる。それが将棋の人気を高めた一因と考えられる。しかしながら、さすがの将棋AIも、なぜそう判断するのかまでは教えてくれない。そのため将棋AIが示す手を実際に使いこなすためには、そうすると良い理由を人間自身が推測して考える必要がある。当然ながらそれができるためには、かなり高い棋力が要求される。
もし、将来将棋AIがなぜそういう結論を出すのかといったところまで教えてくれるようになるとどうなるであろうか。おそらく今よりも一層幅広いプレーヤーが将棋界に集まり、普及の幅は広がるだろう。プレーヤーに限らず「観(み)る将」も増えてくるのではなかろうか。
10.4 将棋AIは何種類?いまだに進化しているのか
{本の中のナビゲタ}この二つの疑問のうち、最初の疑問については、御曽崎にもすぐに複数あることはわかった。しかしながら、ではどのように違うかとなると、その内容は技術的だったので、そこについては板野に教えてもらうことにした。
御曽崎に将棋AIのことを尋ねられて板野は「将棋AIと特定されても、特に詳しい知識があるわけではないです。ただ、ものの本で、少し読んだ記憶がありますね。その程度で良ければ説明しますよ。」と、前置きしてから話だした。
現在主流の将棋AIには大きく「NNUE(ヌエ)系」と呼ぶソフトとディープラーニング系のソフトの2系統があります。前者は、複雑な終盤でより正確な判断を下せる傾向があり、後者は全体的な形勢判断に強みがあるとか、序盤の精度(最善手の確定)とスピードに優れている等と言われています。しかし私は実際に使ったことがないので良くは分かりませんが、それぞれに特徴があることは確かなようです。共に複数の種類のAIが開発されてきていますが、最近はディープラーニング系のソフトが増えているし、主流となっているようです。
例えば、藤井八冠の場合は仲間から将棋ソフトによる研究を勧められ、2020年にはCPU(Central Processing Unit:中央演算処理装置)で動かす将棋ソフトを利用したが、これはNNUE系のソフトだったそうです。その後、プロ棋士の中でもいち早くGPU(Graphics Processing Unit:画像処理演算装置)で動かす将棋ソフトを導入したが、これはディープラーニング系のソフトです。なお、CPUとGPUの違いについては、興味あればここをクリックしてください。専門解説コラムに移ります。
その藤井八冠はディープラーニング系のソフトの方が、NNUE系将棋ソフトと比較して序盤に優位性があると認識しているそうですが、終盤は後者の方が正確な場合が多いとも評しています。また、彼の場合は、特にディープラーニング系の将棋ソフトに特徴的な手が見られるようになったと指摘する声もあります。
ちなみに、細かな将棋の打ち方についてはともかくとして、彼が将棋ソフトを使用するパソコンを自作したことはパソコン業界ではよく知られています。ある日の記者会見において、さらなる棋力向上のために「落ち着いたらパソコンを1台、組みたいなと思います」と語ったが、その後実際にGPUを用いて動かすディープラーニング系の将棋ソフトを導入したことに伴い、パソコンのGPUを自分で取り替えたそうですよ。
板野の説明からも容易に想像できるように、将棋AIはいまだに進化し続けている。その理由の一つが、まだAIの評価が絶対ではないということにある。ある時点でソフトが示した評価が、さらに長時間分析させることで真逆の結論を出すこともある。あるいは、形勢判断をAソフトとBソフトに分析させると、中終盤における優勢、劣勢の評価が180度違うケースが少なくないと言われる。しかもそれぞれで形勢判断が違ってくるケースが増えてきているそうである。そのため、「AIのミスを指摘するのが棋士の仕事の一部」と言うプロ棋士がいるくらいである。また、自ら将棋AI用ソフトを開発するプロ棋士もいる。
実際、世界コンピュータ将棋選手権で優勝したソフトは、次の年は勝率が2~3割まで落ちると言われる。それだけ進歩のスピードが速く、また同時にニューカマーが参加する余地が大きいのである。特に最近、ディープラーニング系が進歩し、より質が高く効果的な勉強法が可能になった。
ディープラーニング系では主に「強化学習」という方法で精度を高めている。強化学習とは設定された目標までの過程をAIが自分だけで無数に試行を繰り返す「教師なし」の機械学習の一つである。この方法を用いれば、理論的にはあらゆる状況下での最適解が理解できるまで反復させることができる。ディープラーニング系の将棋AIであれば、どのような相手にも勝利する方法を、無数のシミュレーションで培っていくことができるわけである。このような過程を経て、AIは際限なく強い戦法を生み出し続けている。
このように、将棋AIはまだまだ将棋の可能性を広げてくれそうである。絶え間ないAI技術の発展は、将棋の戦術の幅を広げ、将棋がより多くの人にとって楽しめるエンターテインメント性の向上に寄与してくれるであろう。
10.5 プロ棋士はどうAIを活用しているのか
現在、研究にAIを活用していないトップ棋士はほとんどいない。将棋AIは歴史ある将棋界に刺激を与え、棋士たちの成長と将棋文化の発展をもたらした。しかしながら言うまでもなく、その利用方法は棋士それそれで違う。そのためAIをいかに活用するかも勝負の一部とさえ言える。
これまで棋士は、主に実戦や過去の対局の棋譜を通して、従来の定跡とはどこが違うかという問題意識を持ちながら、データ化した定跡を頭にインプットして少しずつ定跡を進化させてきた。今ではこの繰り返し作業にAIを使っているといえる。これまでの感性では違和感のある手をAIが示してきたとしても、盲目的にその手を暗記するだけでは実践的でない。前項でも述べたように、それらを自分で理解して取り込んでいかざるを得ない。既にそのやりかたに個人差が現れる。
いつも対局のスタート時点は同じ状態であるので、序盤戦に限っていうならば、出現しそうな変化をソフトにかけて、どれだけ手順と評価値を暗記できるかの勝負となるかもしれないが、それで対応できるのは極序盤だけであろう。やはり、その先は個人差が大きくなる。また、将棋AIそのものも進化するので、どれだけその変化に追従していくかでも、個人差がでよう。
藤井八冠の場合は、将棋AIが人間を超えたと分かった段階で研究対象としたと言われている。まだ将棋AIの利用に否定的なベテラン棋士が多いなか、次々と従来とは異なる独特な戦法を将棋AIから習得した。この新たに習得した戦い方で、名人棋士を倒した将棋AIにすら勝利をおさめたこともある。その藤井のライブ対局をリアルタイムでAIが解析する評価値を並べていくと、プラスのまま徐々に差を広げて押し切るプロセスが可視化される。これは『藤井曲線』と言われ、彼が序中終盤を通じてブレないことを示している。その様なところに彼が棋聖と呼ばれる一因があるのではなかろうか。
さらにプロ棋士は通常、対局中に手を読む際は脳内に将棋盤を思い浮かべ駒を動かして思考するが、藤井八冠は脳内将棋盤を使わず符号が浮かんでくると語り、プロ棋士からも驚きの声が上がったこともある。これも彼が棋聖と呼ばれる所以なのではないだろうか。しかしそんな彼でも、今でもAIを使った勉強を進めているという。
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