第1章 身近にあるAI 

{本章の概要}この章はこれまでAIにあまり関心がなかった、あるいはほとんどAIに関する知識がない方達に、多少なりとも興味を持ってもらおうとするものです。
したがって極めて入門的なもので、既にある程度AIに関する知識を有する方達は、飛ばしていただいても結構です。

  • 1.1 意外と身近にあるAI (自分はAIには余り関係ないと思っていませんか)
  • 1.2 奥さんの身近にあるAI
  • 1.3 「AIとは何か」に挑戦した御曽崎

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コメント

“第1章 身近にあるAI ” への2件のフィードバック

  1. […] 次の項(1.3)に進む 前の項(1.1)に戻る 第1章の初めに戻る […]

  2. […] 「第1章 身近なAI」で御曽崎が挑戦していたのは、自分が知っているいくつかのAIの例から普遍的なAIの定義を見つけようとしていたのだと言えよう。 このようないくつかの事例に基づいて、そこから一般的な結論を導くことは帰納的推論と言われる。この帰納的推論によって導かれる結論は、いくつかの具体的な事例だけに基づいているので、その結論が常に正しいという保証はない。御曽崎の例を読んでわかるように、本当に普遍的に正しいか否かは、いろいろな角度から検証してみなければならない。そこが御曽崎を悩ますところだったのである。 このことは推論の根拠とする事例の数が少ない場合はもちろんのこと、たとえ事例の数がたくさんであったとしても言える。これまで何羽もカラスを見たことがあるが、それらはすべて黒だった。過去に見た非常にたくさんのカラスの色から、全てのカラスの色は黒であると断定するのがその例である。このような推論も帰納的推論であり、その結論が普遍的に正しいという保証はない。例えば、人類未到の秘境にカラフルなカラスが生息していた、というようなこともありうる。 帰納的推論と対になるのは演繹的推論である。帰納的推論が個々のことから一般的な結論を導き出そうとするのに対して、演繹的推論とは、一般的なことから個々の結論を導き出す推論のことを言う。あるいは、ある主張や仮説が正しいことを前提とした場合に、その前提から論理的な結論を導くことであるとも言える。 例えば地球は常に同じ方向に自転している。この自転があるので、地球の上の人間には、朝太陽が東から上ってくるように見える。「(だから)明日も太陽は東から上がってくる」と論ずるのがこの例である。このように一般的なこと、この例の場合は地球の自転から、個々の結論、この例の場合は明日の太陽の動きの予測、を導き出すというのが演繹的推論である。 演繹的推論を行うということは、与えられた前提のみを利用して、推論のルールを適用することによって結論に到達することである。従ってもし「与えられた前提」が正しく、かつ「推論のルールが正しく適用されている」演繹的推論であれば結論は真、すなわち常に正しいといえる。 太陽の例で言えば、地球は今ある方向に自転しているというのが前提である。自転は回転運動であり、あらゆる運動は外部から力が働かない限り、変わることがない。そしてこの自転があるので、地球の上の人間には、朝太陽が東から上ってくるように見えるというのが推論のルールである。これは全て正しいと考えられているので、この推論の結論である「(だから)明日も太陽は東から上がってくる」は常に正しいと言える。 […]

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